第105話 勝頼の最期―1

 太郎山での事件があった翌天正10年(1582)の春、真田家の運命を変える一大事が出来した。昌幸が危惧していた事態、謀叛が起きたのである。


 まず勝頼の義弟、木曾義昌が武田家を見限り、昂然と反旗をひるがえした。

 次いで、親族衆筆頭の穴山信君こと梅雪がまでもがこれにつづいた。


 前にも述べたが、梅雪は信玄の姉南松院なんしょういんを母とし、さらに信玄の娘見性院けんしょういんを妻とする。武田一門の中では特別な存在であったがゆえに、梅雪の裏切りは、他の武将、国人領主らに大きな衝撃を与え、武田家臣団の結束を一気に崩壊させた。

 

 時を移さず、織田・徳川の連合軍が雪崩れをうって武田領に侵入してきた。


 高遠城(長野県伊那市)に籠り、家臣ともども壮絶な討死にを遂げた仁科盛信もりのぶを除き、武田方の諸城は、ことごとく戦わずして敵の軍門にくだった。


 当時、武田領内では、先に述べた長篠の戦いでの敗北、高天神城の守兵見殺しなどの拙策が動揺をきたしていた。さらに、度重なる軍役、戦費負担の増大、新府城普請の賦役ふえき等により、家臣・領民らの不満が高まっていた。人心じんしんは勝頼から離れていたのである。 


 これに加え、黒川金山(甲州市塩山)などから採掘される「甲州金」が枯渇しはじめ、強大な武田軍を支えつづけた「金の力」は、その輝きを失いかけていた。銭がなくては戦さができぬ。武田家の弱体化は、まさに必然の流れともいえた。


 伊那の飯田城、大島城、高遠城と相次ぐ陥落の報せを聞いた勝頼は、韮崎の新府城に重臣を集め、最後の軍議を開いた。

 居並ぶ諸将らは、一様に暗い表情を浮かべ、押し黙った。もはや何を言っても無駄であるといった諦めのようなものがうかがえる。


 このとき、真田昌幸が声を張り上げて勝頼に進言した。

「この新府城は、普請なかばの城。織田を迎え撃つには、いまだ防備が不十分にございますれば、お屋形さまに岩櫃いわびつ城にお移り願いとう存じまする。上州のわが岩櫃城は、天険の要害にあり、兵糧等の備蓄も多く、たとえ大軍が押し寄せて参りましょうとも、持ちこたえられまする。まずは堅要けんようの地にて持久の戦いをなし、後日の再起を図ることこそ肝要と心得まする」


 岩櫃城に行ったことがある人なら理解できようが、そそり立った岩山の上に城が築かれており、まさに難攻不落。長期の年月をかけて兵糧攻めでもしない限り、大軍でも絶対に落とせない城と実感できるはずだ。

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