第104話 月光の額傷―2

 何故に、ひと言も発せず、賊は襲ってきたのか――。

 追剥おいはぎや強盗なら、まず脅しの言葉を発し、恫喝が通じぬと分かれば、その後、凶器を振りかざすというのが通常である。


 しかしながら、突如の襲撃である。幸村はそこに尋常ならざるものを感じていた。

 佐江が再び疑問を口にする。

「ただの野盗ではないような……そうは思われませぬか」


 この佐江の問いに、火草が口をはさんだ。

「おそらく残忍非道な乱破らっぱ素破すっぱの類でありましょう。このところ、敵の間者かんじゃおぼしき者が、ご領内に盛んに潜りこんでおるよし


 佐江が火草に向き直る。

「織田、北条、上杉……いずれの手の者であろうか」

「さて、まことに荒々しき手口から察するに、相州乱破の風魔やもしれませぬ。風魔小太郎を頭に、さまざまの悪行を働いておる由にございます」

「しかし、なぜ、その風魔がここに」


 佐江の問いに、幸村が応じた。

「この東の先にある、砥石城の様子を探りに来たのやもしれぬ」

 太郎山の東肩には、難攻不落といわれる真田氏の砥石城がある。また、山麓にはこの城の大手口となる伊勢山の集落があり、そこには真田家の屋敷があった。


 二人の賊は、砥石城の総構えや守兵の数などを探索し、ゆきがけの駄賃とばかりに、たまたま遭遇した幸村らを襲ったのに違いない。

「先々、よからぬことが起きねばよいのですが……」

 佐江が不安げな面持ちで幸村に寄り添った。


 幸村の額には刀傷があった――といわれている。

 大坂の陣の折、後藤又兵衛基次もとつぐの配下が遺した『長沢聞書』に、幸村の容貌について「額口に二、三寸のきず跡あり」とあるのだ。


 この日、賊との戦いで幸村は額に向こう傷を負った。

 これ以降、佐江は、幸村の額に残る傷を見るたびに、

「わが宝の傷、月光のごとし」

 と、心のうちでいとおしんだ。


 佐江が幸村の褥に忍んで来るようになったのは、この頃からであった。

 夜叉姫は女となったのである。

 

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