第102話 鉄漿付の儀―4

 諏訪御前に「ほほほっ」と無視され、昌幸は母親の恭雲院にすがるような視線を送った。ほとほと困り果てた様子である。

 しかし、頼みの恭雲院もつれなく目をらすではないか。


 万事休すと悟った昌幸は、やむなく容儀を正して、わざと重々しい口調で言った。

「源次郎がこと、左様に大切に想われていたとは、まっこと痛み入る。なれど、姫は此度、お歯黒染めをめでたく了されたとはいえ、まだまだお若い。輿入れはもう少し先にされては、いかかがかな」

「はて、もう少し先と申されますと……」

「考えるに、源次郎もやがては元服。その後ならば順当と存ずるが、いかがであろう」

 これには、佐江もうなずかざるを得ない。

 しかしながら、昌幸としては、これはその場しのぎの方便を言ったに過ぎない。


 幸村は当年とって15歳。いつ元服してもおかしくない年齢ではある。かといって、当時の元服年齢に厳密なきまりはない。早ければ6歳、遅い場合は20歳過ぎということすらあった。


 昌幸はしばらく様子を見て、2、3年先に元服を執り行えば、所詮、小娘に過ぎない佐江のこと。一時の熱情として雲散霧消うんさんむしょう――春の淡雪のごとくはかない夢として消えうせるであろうと、をくくったのである。 


 昌幸はあくまでも幸村に、近隣の有力大名の子女をめとらせたいと考えていた。佐江がこうした昌幸の心のうちを知るべくもない。

 

 そして今、昌幸との「約束」を胸に秘めて、幸村とともに太郎山の頂きへと足を進めているのだ。

 幸村、佐江、火草の三人は、やがて太郎山神社の前に至り、参堂の後、竹筒の水で一服した。


 俚伝によると、この太郎山神社の創建は、はるか鎌倉の御代みよに、真田氏の始祖といわれる海野氏が旱魃かんばつに際して、雨乞い祈願のため熊野権現を勧請したものという。戦国末期のこの時代からさかのぼること、およそ四百年も昔のことである。


 この社の脇の山道を辿って、三人はようやく太郎山の頂上に出た。それぞれの額に汗が浮かぶ。

 眼下に上田の里がひろがり、その中央に千曲川が流れる。南に蓼科たてしなの山々や八ヶ岳の山塊さんかい、西に穂高の峰々が見られ、霊峰富士も姿をのぞかせている。


 そのとき、三人の頭上から、ピィーッと笛の音のような鋭い鳴き声がした、佐江の愛鷹あいよう飛雪丸である。それは、警告の鳴き声であった。

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