第100話 鉄漿付の儀―2

 上座で祝いの酒をグビグビと呑む昌幸は、ますますいい心地になってきた。当然、 気も大きくなる。

 下座を見渡せば、矢沢頼綱の愛娘が、晴れ着をまとって天女のごとき美しさを輝かせている。


 昌幸は、天女のごとき姫御前に、上機嫌の声をかけた。

「鉄漿付の儀を終えられ、まことに祝着、慶賀の至りと存ずる。ついては、この佳き日の祝いとして、姫に望みのままの品を進ぜよう。ん?何か欲しいものがござらぬか。この際、遠慮なく申されよ」


 この瞬間、佐江は内心にんまりとした。自分の描いた図面通りに、事が運ぶと確信したのである。

 さりながら、そのようなことをおくびにも出さず、佐江は容儀を改めて昌幸に言った。

「お言葉、かたじけのう存じまする。されど、欲しいものと言いましても格別にはござりませぬ」

「ふむ」

 いささか鼻白んだ昌幸に、佐江が言葉を覆いかぶせる。

「なれど、せっかく大殿さまがなんでも与えると申されますし、そのお気遣いを無下にしては興が醒めるというもの」

「そうよ。そうともよ。なんでも欲しいものを与えて進ぜよう。菓子か、着物か、ん?なんでもようござるぞ」


 ここで佐江がおもむろに一揖いちゆうし、膝に手を置いて言上した。

「では、せっかくのかたじけないお言葉ゆえ、はばかりながら申し上げます。私めの欲しいものは……」

 その次の言葉を聞いて、昌幸は思わず盃の酒をこぼしそうになった。

 座の女子衆も、箸を持ったまま、一様に呆気に取られた顔をしている。


 佐江のひと言で、座は一瞬、しわぶきひとつない無音に帰した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る