第95話 風雲急なり―2

 織田・徳川連合軍の進攻に備え、武田勝頼は新府しんぷ城の普請を急ぐよう真田昌幸に改めて命じた。


 武田氏の本拠としては、甲斐古府中こふちゅうの躑躅ヶ崎館が有名である。この居館は、勝頼の祖父信虎のぶとらの時代に築かれ、合戦時の詰めの城としては、背後に要害山城という山城を配している。


 勝頼は、この躑躅ヶ崎館の防備を強化すべく、新たに西曲輪、北曲輪を儲けるなど拡張工事を行うとともに、要害山城にも手を入れた。


 しかし、これだけの防備では、織田・徳川の大軍が押し寄せれば、ひとたまりもない。武田忍びから続々と入る報告では、織田軍は先鋒として3万の兵を甲斐に侵攻させようとしているという。しかも、後続の織田信長率いる本軍は6万という噂もあった。


 勝頼の胸中に不安がよぎった。


 このとき、最低1万の士卒が立て籠れる巨城を築いて迎え撃たねば、敗北は必至であると勝頼に進言してきた者がいた。それが、駿河江尻えじり城の城主であり、一門衆筆頭の穴山信君のぶきみである。

 信君は梅雪ばいせつという号で知られる。


 この人物は、信玄の甥にあたる男であり、勝頼の姉を娶っている。血筋としては、武田家の家督を相続しても、なんら不思議ではない人物であっただけに、信君は内心、勝頼に敵愾心を燃やしていたフシがある。


 そのためもあってか、信玄の死後、ことごとく勝頼と対立し、しかも長篠の合戦のとには一兵も動かさず、戦線を勝手に離脱するという軍令違反を行っている。

 長篠の合戦後、勝頼はこの卑劣漢を当時の軍法にのっとり、断固成敗すべであった。実際、武田四天王の一人、高坂弾正昌信まさのぶは、穴山信君を切腹させるよう勝頼に進言した。


 ところが、勝頼はこの高坂弾正の意見をしりぞけた。

 なぜか――。 

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