第94話 風雲急なり―1

 空に舞い翔ぶ愛鷹あいよう飛雪丸の姿を目におさめて、佐江が話題を転じた。

「ときに、大殿さまは、沼田の陣からご帰還された直後、勝頼さまの急なご命令により韮崎にらさきの地に赴かれたとか」

 佐江のいう大殿さまとは、真田昌幸のことである。


 この当時、昌幸は武田四郎勝頼より新府しんぷ城(韮崎市)の普請奉行を命じられていた。

 いまから六年前、武田勝頼は、長篠の戦いで織田・徳川連合軍に大敗を喫した。以来、遠江とおとうみ・駿河などの領土を織田・徳川に浸蝕され、その脅威は日ごとに増していた。


 しかも、三年前に越後の上杉家で勃発した家督争い「御館おたての乱」を契機に、甲相同盟は破綻し、勝頼は小田原の北条氏とも敵対関係に陥っていた。そのため、尾張、三河、相模の三方から攻められる怖れを招いていた。


 加えて、この天正9年(1578)、遠江の要衝であった高天神城を徳川軍に奪還されていた。この頃、すでに勝頼は専守防衛に手いっぱいで、高天神城に援軍を送れなかったのである。しかし、これが武田家の威信を大きく失墜させる原因となった。


 こうした窮状をなんとか打破すべく、勝頼は外交による和平工作を図らざるを得なくなっていた。と同時に領国の守りを固めるべく、韮崎の地に巨大な新府城を普請することにしたのだ。


 武田忍び「三ツ者」の報告では、織田方、徳川方ともに大量の兵糧を買い集めているとのこと。それが、武田攻めのためのものであることは疑いもなく、もはや勝頼には一刻の猶予も許されていなかった。

 織田・徳川の大軍を迎え撃つためには、一万以上の兵が立て籠れる、かつてない規模の巨城が必要であった。


 真田昌幸は、その城の普請を勝頼から命じられていたのである。

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