第89話 昌幸の帰還―1

 乱取りとは、攻め入った国のヒト・モノに対する略奪行為をさす。

 当時、合戦で最前線に立つのは、雑兵であった。雑兵はそのほとんどが村々から徴用された農民で構成されていた。

 戦国期の合戦が、主に農閑期に行われた理由はここにある。


 この戦国期から江戸時代にかけて、日本は小氷河期にあった。東北地方にはヤマセが吹き、冷害の夏が多く、飢饉が頻発した。さらに、旱魃かんばつ、水害などにより、農民の大半は飢餓で苦しんでいた。


 田畑を懸命に耕しても,喰うや喰わずの日々である。

 こうした農民たちが、雑兵に狩り出されると、群集心理で「飢えた狼」となる。敵国の人々の家に押し入り、食糧や家財の強奪はもとより、放火、殺戮、さらには奴隷狩りも容赦なく行われた。


 男は金山、銀山などの鉱夫、人足奴隷とし、女は娼婦や下女として「人市ひといち」で売り飛ばすのである。


 ある戦国大名が出した陣中法度はっとに、「下知なくして乱取りすべからず」という内容の一箇条がある。このことは、武将らが雑兵どもの乱取りを認めていたということであり、戦場が乱取りにより乱れていたことを示す証左といえよう。

 当時の農民にとって、戦場はおのれの命を的にした「出稼ぎの場」であったのだ。


 さて、真田昌幸の帰還に話を戻そう。

 昌幸は、沼田の陣でこびりついた具足の塵埃じんあいを払い、兵をやすませるべく久方ぶりに真田郷へと戻ってきた。


 この頃、昌幸は叔父の矢沢頼綱とともに沼田城の攻略に専念していた。その前哨戦として、周辺の小川城、名胡桃なぐるみ城などを果敢に攻め、陥落させていた。沼田城を孤立させ、しかるのち、陥落させようという腹づもりであった。


 幸村は、父の昌幸の前で、板張りの床に手をつき、声を改めて無事の帰還を言祝ことほいだ。

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