第88話 幸村と信幸―2

 信幸が躑躅ヶ崎の武田館にいた頃、幸村は真田屋敷で文武に励んでいた。

 

 槍の名手、三十郎からは槍術を、鉄砲浪人の筧十蔵からは砲術を学んだ。また、漢詩・漢文などの文事は、真田山長谷寺ちょうこくじ海翁かいせん和尚を師とし、薫陶よろしきを得ていた。

 この長谷寺は、幸村の祖父一徳斎幸隆が開基した真田家菩提寺である。


 海翁は、その前身が上杉家の家臣であっただけに軍学や兵法に明るかった。とりわけ、海翁の名調子による『太平記』の講釈は、幸村の興を強く誘った。


 特に河内郷の土豪たる楠木正成まさしげが、鎌倉幕府の大軍を相手に様々な鬼謀、智略を駆使し、奮戦するくだりに、強く惹きつけられるものがあったものと思われる。


 四囲を強国に囲まれた小国真田が、もし大軍に攻められたら、いかに守り、いかに敵を討ち破るか――否、たとえ勝利をおさめなくとも、最低限、負けぬ方法はないものか。

 幸村には学ばねばならぬことが多くあった。


 ――そうしたある日の夕刻。

 真田屋敷の大手口に、軍馬のいななきや雑兵らの喚き声が立ちこめた。

 父の昌幸が、上野こうずけ沼田の陣から帰還してきたのだ。

 天正9年(1581)の年が明けて、間もない頃のことであった。


 大手門あたりで雑兵らの小競り合いがはじまった。

「その女は俺のものだ。おまえごときに渡してなるものか」

「バカこけ。なんなら、刀で決めようではないか」

「おおっ、のぞむところよ。そのドタマ、叩き割ってやる」


 乱取りの憂き目にあった女を、雑兵どもが奪い合っているのだ。

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