第85話 柔靭なる強さ―1

 幸村は長じても、物静かな性格であった。

 この戦国時代によくある豪傑タイプでも、猪武者タイプでもなく、敢えて言えば静かに戦術・戦略を考える竹中半兵衛タイプの軍略家といえようか。


 後年、大坂のえきが勃発し、大坂城へ入城した幸村は、軍議の席上、おのれの練り上げた出撃の戦略を述べたが、その献策は豊臣秀頼の側近大野治長はるながらにことごとく退けられた。


 淀殿の乳母大蔵卿局おおくらきょうのつぼねの子である治長は、

「この大坂城は故太閤殿下が築いた天下の名城。仮に30万の軍に包囲されても落ちぬ。ご安心めされ」

 と、籠城をとくとくと主張したのである。


 当然ながら幸村はこの治長の籠城論にばくした。

「たしかに大坂城の防御は鉄壁、金城湯池にございます。しかし、この戦いは長期戦になること必至。しかも、援軍の後詰ごづめなき孤城にて、おめおめと一城に引き籠るだけでは、士気は衰え、いずれ敵に気を呑まれることになりかねませぬ。まずは敵を城外で迎え撃ち、初戦で凱歌を挙げることこそ肝要。士卒にその士気を高く持ちつづけさせることが、敵の謀略や陥穽かんせいに陥らぬ手立てともなりましょう」


 寡黙な幸村としては、珍しく熱弁をふるい、治長ら側近の説得を試みたがムダであった。

 豊臣秀頼とその母淀殿は、譜代の家臣治長らの意見を採り上げ、新規召し抱えの武将の策戦などは耳に入れようともしない。

 やむなく幸村は、それ以上の言葉を控え、大坂城三の丸東南端の位置に出丸(真田丸)を構築し、討ち死に覚悟で徳川軍と戦う意思を示した。


 大器はとなえず――自分の意見を声高に主張せず、相手の非も責めない幸村の恬淡てんたんたる性格は、政治的資質にやや欠けるがあったことは否めない。だが、幸村には人をきつける不思議な魅力があった。

 

 それは静かで柔らかな強さ――「柔靭じゅうじん」な強さであった。

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