第77話 女忍火草―1

 海野六郎が火草に訊く。

「ひっ、火草どの。そこもとが、何故そこにおる」

 かなり狼狽ぎみの声である。


「無論、われら根津村の草の者一同、弁丸さまの道中警固をつかまつり、ここまで参ったというに、六郎どののかくなる無体むたい。はて、さて、いかなるゆえか。再度、申す。ここにおられるは、真田の若君、弁丸さまであられる。無礼があってはならぬ。ただちに開門されよ」

「それはならぬ。われら、この館の主どのから……」


 火草が美しい顔を歪めて失笑した。

「見えすいた嘘をくどくどと申されるな。その館の主である大殿、昌幸さまのお指図で、今日ここに弁丸さまがご帰還なされたのじゃ。しかも、大殿は昨今、上州の陣におられ、お留守のはず。六郎どのが申される主どのとは、いったいどなたのことか」

「む、む、むっ」


 このとき、根津村の草の者たちから一斉に声が上がった。

「それは鬼御前であろう」

「こいつ、青鬼御前に雇われておるのじゃ。ハッハハ」

「信濃随一の弓矢の名手といわれた男が、金ほしさに鬼御前に雇われておるとはのう。ヒャッハハッ」


 櫓門の上で六郎が顔をしかめている。あまりの屈辱に、おそらくギリギリと歯ぎしりしているのであろう。

 ここで、火草が驚くべき言葉を放った。

「そうそう思い出した。この春、佐久村で六郎どのにおうたとき、なんとも耳ざわりのいい優しげな言葉をささやいてくれたのう。あの口説き文句、昨日のことのように思い出したわ。少し、ここで皆々に披露することにいたそう。六郎どの、よろしいか?」

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