第75話 海野六郎―2

 櫓門の上の武者が、弓矢をこちらに向けているのに気づき、矢沢三十郎は怒りにまかせて咆えた。

「そのほうら、弁丸さまに弓ひくか!」

 

 すると、三十郎の野太い声を撥ね返すように、古色蒼然たる大鎧をまとった若武者が甲高い声を幸村ら一行に浴びせた。

「ふん。先程から弁丸さま、弁丸さまとほざくでないっ。嘘偽りを申すな。そのほうらの奇怪な風体ふうてい、どこから見ても野盗の類としか思えぬ」


 ここで望月六郎が大声で誰何すいかした。

「お主、名はなんと申す。この無礼、後でご当主の昌幸さまから、きついとがめを受けようぞ」

「ふん。われの名を聞いて驚くな。われは、清和天皇の皇子貞保さだやす親王の末裔、海野中務大輔なかつかさだゆう幸次の一子、海野六郎なり」

 

 海野六郎の名を聞いて、根津村の草の者からどよめきが上がった。

 それは、弓矢の技にかけては信濃随一といわれ、まさに神技と噂されるほどの腕を持つ若武者であった。無論、その驍名ぎょうめいたるや、近隣はおろか、遠国にまで名を馳せ、知らぬ者はなかったが、この若者はいささか性格に難点があった。


 傲岸不遜かつ奔放不羈な性格が災いして、父の幸次亡き後、一族一門からさえ爪弾つまはじきにされ、まともに相手をする者がいなくなったのだ。海野六郎はわが身の不遇を嘆いたが、それは誰の目から見ても自業自得のことと思えた。


 三十郎がいらついた声で問う。

「海野六郎という名、聞かぬでもない。なれど、何故、われらの邪魔だてをするか」

 このとき、六郎がいささか口ごもった。

「そっ、それは、この館の主から警固を命じられてるからよ」

 何か、仔細がありそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る