第63話 筧十蔵―1

 大兵の三十郎の背後に隠れるようにして、蓬髪の男が神妙に畏まっている。檜皮色ひわだいろの綾目もわかたぬボロをまとった貧相な男であった。眉間や額の刀傷に加え、左目は醜くつぶれている。


 男が狼狽ぎみの声を出した。

「えっ、わしでござるか。わしの名は、かけい十蔵と申す。ご覧のとおり、あか抜けた風体ではござらぬが、これでも武者の端くれ。爾後じご、よろしくお見知りおきくだされ」


 十蔵に注がれるお亀の方の眼差しがやわらかい。顔に数条走る向こう傷が気に入ったのだ。


 お亀の方と視線が合った十蔵は、思わず居ずまいを正し、深々と低頭しつつ申し添えた。

「なれど、困り果てたことに今は空腹を抱え、浪々の身でござる」


 お多福顔のお亀の方が、大きくうなずく。

 それを上目遣いで見るや、

「まことに不躾ぶしつけながら、ただいまも腹が空いており、我慢できかねておりまする。つきましては、ひと椀の飯を所望いたしたく……」

 ここでお亀の方がニッと口の端を上げた。

 すかさず十蔵が追従ついしょう笑いを見せて、

「できれぱ酒も頂戴できればと存ずる」

 と、言葉をつづける。

 筧十蔵という男、なかなかに如才じょさいがない。


 お亀の方が、その丸々とした腰をゆらりと上げ、

「では、こちらへ参られませ」

 と、くりやのほうへ十蔵を導く。


 美しい裏庭をのぞむ奥座敷には、三十郎と幸村の二人が取り残された。

 しばし、座は無音に帰した。 

 その静寂を破って、三十郎が口を開く。

「今しがたの筧十蔵とやら申す者のことでござるが……」

 

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