第62話 矢沢三十郎―3

「若にございまする」

 お亀の方のその言葉に、三十郎はあわてて大きな図体を折り曲げ、畳に手をついた。


「此度の労、まことに痛み入る」

 上座から涼やかな声が落ちてきた。

「ははっ」

 お亀の方から、「名代どの、面を上げられませ」という許しが出て、三十郎は幸村と視線を合わせた。

 幸村の双眸から少年とは思えぬほどの強い光が放たれている。


 その眩しい光を敢えてね返すように、三十郎は傲然ごうぜんと胸をそらし、言葉を発した。

「お初にお目にかかりまする。身共は、真田一門矢沢頼綱の一子、三十郎頼康と申す者。ま、平たく申せば、佐江の兄でござるよ。もっとも、妹とはひと回り以上、齢の開きがあり申すが……わが家のじゃじゃ馬同様、以後昵懇じっこんのほど、願いたてまつりたく……ワッハッハ」

 頼綱に似た野太い声である。


 三十郎の人もなげな破顔一笑に、幸村の傍らに控えるお亀の方が口元を袖で隠し、忍び笑いをした。

 その大きな垂れ目が、さらに下がり、目尻に深い皺を刻んでいる。


 お亀の方は、戦場で真っ先に駆けて進み、一番槍、一番首の功名を立てるような武骨な武者を好む。三十郎の向こう見ずともいうべき豪快なおとこぶりは、お亀の方の意にかなうものであった。


「それから、身共のうしろに控えおりまするは……」

 三十郎はこうべをめぐらし、

「これ、そこもとの名はなんと申したかの」

 と、背後の者に言葉を投げた。

 どうやら、つい最前、ここに来る道すがら出くわした者のようだ。

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