第39話 武田家滅亡―3

「者ども、かかれいっ。敵は烏合うごうの衆ぞ」

 その勝頼の咆哮に、信玄以来の譜代家臣は、「もはや死あるのみ」と思いを決した。勝頼の下では、やってらんないと思ったのである。


 宿将の内藤昌豊、山県昌景、馬場晴信、さらに真田昌幸の兄である信綱、昌輝らは「われにつづけ。死ね死ね」と、一様に絶望的な吶喊とっかんを繰り返し、壮絶な討ち死にを遂げた。

 

 これに対し、織田方は馬防柵をめぐらし、その中から、三千挺の鉄砲を三段撃ちにして迎え討ち、死の突撃を繰り返す武田軍にすさまじい銃火を浴びせた。


 この長篠の合戦において、惨敗した武田軍は、1万のしかばねを残して本国甲斐へと撤退した。なんとか奇跡的に生き延びた昌幸も、命からがら領国の東信濃に逃げ帰ったのである。


 かくて戦国最強と称された武田の武威は地に堕ちた。この7年後の天正10年(1582)、武田家は滅亡することになる。


 昌幸が勝頼の命により、真田家の家督を継いだのは、この長篠の合戦の直後である。兄の信綱、昌輝が討ち死にした結果であることは言うまでもない。


 家督相続後、昌幸は持ち前の謀略の才幹を生かして、名門武田家の威信を回復すべく、まずは間諜活動に躍起になって手を尽くした。

 配下の草の者、歩き巫女、さらに飯縄や戸隠などの神人じにん、修験者なども味方に引き入れ、

「近く武田家2万の兵が、三河に討ち入る」

「越後の上杉謙信が、上洛の途につく」

 などという流言るごんをまき散らし、情報の攪乱かくらんにつとめた。


 もっとも厄介な敵、織田信長を牽制けんせいするためである。



 


 

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