第36話 根津家の猶子―3

 3年の星霜が移った。


 その間、根津家では、新たに迎え入れた若い側女の腹から、世継ぎの男子がついに産声うぶごえをあげた。

 かくして、「あわよくば弁丸を根津家の養嗣子に」という昌幸のひそかな企みは水泡に帰した。


 それから歳月はめぐり、季節は足早に移り過ぎた。が、猶子たる弁丸こと幸村の境遇はなにひとつ変わることなく、根津家に里子として預け置かれるままとなっていた。


 父親たる昌幸は弁丸のことなどかえり見る暇はなかった。相次ぐ戦いに忙殺されていたのである。


 駿河の守護今川家が滅亡した元亀元年(1572)、天下の覇を競う信玄は、3万余の軍勢を率いて徳川領の遠江とおとうみ(静岡県西部)に侵攻。その武田軍の中に足軽大将のひとりとして昌幸の姿があった。


 武田軍は、信濃から青崩あおくずれ峠を越え、秋葉街道を南下して遠江に入り、二俣ふたまた城(静岡県浜松市)などの諸城を鎧袖一触で攻め落とした。このとき、三方ヶ原(浜松市北区)の戦いでは、家康を討ち死に寸前まで追い詰める勢いを示した。


 さらに翌年の春、昌幸は三河(愛知県東部)侵攻の陣中にいた。

 

 京の都に武田菱の軍旗を打ち立てる――それが信玄の見果てぬ夢であった。しかし、野田城(愛知県新城市)を陥落せしめた後、思いがけないことが起きた。信玄の持病である肺肝はいかんの病がここにきて急に悪化したのである。

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