第30話 弁丸の処遇―1

 謎めいた千代乃の失踪から半年――。

 昌幸は目下のところ、古御館の歩き巫女らに哺育ほいくされているわが子、弁丸の扱いについて思案に暮れていた。


 京から取り寄せた僧日海にっかい(のちの本因坊算砂さんさ)の棋譜を手にしている。どうやら一人稽古の最中らしい。碁笥ごけの中の石をまさぐりながら、ぶつぶつとつぷやく。

向後こうご、いつまでも、あの赤子をくノ一どもの玩具おもちゃにしておくわけにもいかぬであろう……このまま捨て置いては外聞が悪い。が、いまのところ、わが屋敷に連れ戻すわけにもいかぬ。はて、さて……困ったものよ」


 というのも、当時、昌幸は、おのが正室山之手殿との間にも、男子(のちの信幸)を授かっていたのだ。幸村が生まれた、わずか三カ月後のことであった。


 折しも、山之手殿は産後の肥立ちが悪く、すこぶる気がたかぶっていた。まして、この正室たる女は、悋気りんきひとかたならず、良人おっとの愛妾が子をなしたと、どこからか聞きつけるや否や、細腕に薙刀なぎなたをふり上げ、昌幸を追いまわしたのである。


 当時、まだ存命中であった昌幸の父幸隆は、この山之手殿の乱心を耳にし、

「凄まじき女子おなごよ。されど、信玄公の養女として嫁いできたからには、血迷い狂うたとて、追い出すことあたわぬ」

 と、歎息したという。


 昌幸とて、神のごとく心酔するお屋形さまこと、信玄の手前、離縁など到底考えもつかない。それだけに、赤子弁丸の処遇について、思い悩んでいたのである。

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