第29話 千代乃の失踪

 幸村が呱々ここの声を上げて、1年も経たぬ頃、根津村の人々の耳目をそばだてさせる不可解なことが起きた。

 ある日、神隠しにあったように、歩き巫女の拠点である古御館から忽然と消え失せたのである。


「ややこを残して、どこへ行かれたのか。せぬ」

「なれど、いとけない坊を置き去りにできようか」

「そうよ、そうともよ」

「もしや、どこぞで難儀に遭われておられるのか」


 歩き巫女らは、あまりの突然のことに困惑しつつも、千代乃の名を呼びつつ、近辺の野山を探し歩いた。

「千代乃さまあああー」

「御寮人さまあああー」


 四辺を探す巫女らに、やがて大勢の村人らも合力し、隣村、その次の隣村へと千代乃の姿を探し求めたが、そのすべては徒労に終わった。


 これには後日談がある。

 その後、幾年かが過ぎゆき、人々の頭から千代乃という名が忘れ去られようとした頃、一度だけある風聞が村内に流れたことがある。

「千代乃さまとおぼしき女人を京にてお見かけした」

「美しい輿こしに乗っておられた」

「御所の女官のごとき高貴なお姿でござった」

 ――云々。


 しかし、それも所詮、噂話の域を出るものではなく、千代乃の行方がようとして知れぬことに変わりはなかった。

 人の噂も75日。以後、その名が、人々の口の端にのぼることは徐々になくなり、歳月だけが過ぎ去っていったのである。


 千代乃の産み落とした赤子は、昌幸により弁丸べんまると名づけられた。

 

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