第25話 幸村の出自―1

 話が前後して申し訳ないが、真田幸村の出自については、とかくの伝聞がある。いわゆる次男ではないという「嫡男説」、さらに昌幸の正室山之手殿が生母ではないという「庶子説」などである。

 

 実は、真田家の家史や記録はいろいろあるが、すべて真田氏草創期からはるかに実は時代が下った江戸、明治の世になって、誤記・脚色などの散見される古文書をひもといて編纂されたものであり、いささか信憑性に乏しいのだ。

 

 なぜか。

 真田家伝来の正式な文書は、明暦3年(1657)の振袖火事、享保2年(1717)の松城火事、さらには享保16年の失火等により、松代城や江戸藩邸などとともに灰燼に帰していたのである。


 ゆえに真田氏の血脈、山之手殿の出自等に至っても誤伝を含め、諸説あるところとなっている。


 大坂冬の陣、夏の陣において獅子奮迅の働きをなした幸村は、それ以前の事績がほとんど残されていない。歴史のはるか彼方に、諸々の真相が夢幻のごとく霞んでいるのだ。


 よって、筆者は大坂の陣以前の幸村については、史実を求めない。求めようもない。幸村の生い立ちについても、さまざまの仮説を頭の中で組み立て、今後の物語を紡いでいくことを遅まきながら読者にお断りしておく。

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