第24話 歩き巫女―3

 真田幸隆の働きで、西上野こうずけを掌中にした武田信玄は、南に目を向けた。本当は信濃から越後へと攻め入り、交易のための日本海ルートを確保したかったのであるが、上杉謙信の前に手も足も出ない。


 ならば、南の駿河を攻め取ればよい。

 駿河の海は、日本海より波は荒く、船の航行に難はあるが、もはややむを得ない。


 この永禄10年(1567)、駿河の太守は今川氏真うじざねであった。氏真は、桶狭間の戦いで討死にした父義元の跡目を継いだものの、国衆から「不甲斐ない」「たのむにあらず」と、不安視されていた。


 なぜか。

 父義元を討った織田信長に対して、さしたる反撃をしなかったからである。

 この戦国時代においては、家督を継いだ氏真は、すぐさま父の仇討ちをし、織田信長の首を挙げなければならない。惰弱だじゃく怯懦きょうだがもっとも侮蔑される時代であった。


 重臣らは「弔い合戦の兵をただちに挙げるべし」と進言したが、氏真の態度は煮え切らない。

 この無様な態度に、まず三河の松平元康(のちの徳川家康)が織田信長と組んで離反し、これに今川家臣団は大きく動揺した。


 今やとき――。


 信玄は同盟関係にあった今川氏をあっさりと見限り、駿河への進攻を企てた。

 他国を攻め取るには、第一に調略から取りかからねばならない。敵将を寝返らせるのである。


 信玄は躑躅ヶ崎の居館に、懐刀の昌幸を呼びよせ、申しつけた。

「駿河に歩き巫女を放ち、だれが寝返りそうか探らせよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る