第14話 軍略の血筋―1

 さて、幸村の出生については諸説あるものの、今日の大方の見方としては、永禄10年(1567)に、真田昌幸の次男として生まれた――ということになっている。

 その根拠になる史料は9点ほどあげられるが、それをここでいちいち解説することは辞退させていただく。第一、解説しても全然面白くない。


 さて、幸村が生まれた永禄年間から元亀・天正の頃は、いうまでもなく戦国末期の乱世であり、信濃や甲斐はおろか、わが国全土が動乱の只中にあった。


 この時期、真田家の当主は、幸村の祖父幸隆ゆきたか(一徳斎)であった。


 幸隆は、天文12年(1543)以来、甲斐武田氏に信濃先方衆として仕えていた。武田家に出仕したいきさつについては後述するとして、幸隆は武田軍の先鋒となって、常に戦場の最前線を馳駆ちくし、武田晴信(信玄)から、攻め弾正、鬼弾正と称されたという。


 幸隆の鬼謀ともいうべき才は、特に城攻めにおいて発揮された。敵の城内に内応者をつくり、内部から崩すという謀略戦に長けていたのである。


 幸隆の子の昌幸も戦国きっての謀将といわれ、昌幸の子幸村も知将と讃えられた。真田家はまさに軍略家の血筋といえよう。


 その調略、軍略の才を駆使して、天文21年(1551)、真田幸隆は、おそるべき離れ業を成し遂げ、一躍、名を馳せることになった。

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