第12話 三年前の約束―3

 真田家当主の昌幸は、佐江姫が妻の山之手殿まで味方に引きずり込もうとしていることに驚愕し、ついに白旗を上げ、まずは自分を落ち着かせるために盃をグイッとあおった。


 酒がやたらに苦い。


 佐江姫はその昌幸の様子を見て、静かな声音で言い放った。

「では、三年前のお約束、近いうちに叶えていただけると思うてよろしゅうございますか」

「う、うむ。改めて約束いたす」

 

 これを聞き、佐江姫は勝ち誇ったように追い討ちをかけた。

「ふふっ。おなごに恥をかかすと、ロクなことはございませぬぞ。お気をつけあそばれ」


 事の成り行きにあわてたのが、佐江姫の父、矢沢頼綱である。

 老いたりとはいえ、真田家随一の猛将として敵を怖れさせる頼綱が、この愛娘のつつしみをかなぐり捨てたかのような言動に、思わず「姫、ならぬ。さがれ、さがるのじゃ」と、制止の言葉をかけようとした。


 が、溺愛する姫御子ひめみこだけに、声がみじめなほどにうわずり、

「ひ、ひっ……」

 としか発音できない。


 もはやそのうろたえぶりに、歴戦の古強者ふるつわものという面影はない。衆目にさらされたのは、娘を盲愛する愚かしくも平凡な父親の姿であった。


 このとき、それまでじゃくとして控えていた幸村が、この日、二度目の言葉を父昌幸に発した。

「畏れながら、此度こたびばかりは父上の負けと存じます」


 果たして、お歯黒染めの日、真田昌幸と佐江姫は、いかなる約束を交わしたというのか。その約定やくじょうの内容は、次章にゆずることにする。


 この元服式の夜、突然、風が出て、大気が澄んだ。

 にわかに、城の武者窓が煌々こうこうと輝いた。

 その次の瞬間、驚くべき異変が起きた。

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