第10話 三年前の約束―1

 佐江姫は、真田家当主昌幸に怖れもなく言った。

「そこまでおめいただくならば、この私めにご褒美をいただけましょうや」


 これに、頼綱がうろたえ声で娘に申し渡した。

「ひっ、姫。控えよ。不躾ぶしつけなことを申してはならぬ」


 昌幸が、頼綱のその声を手で制し、鷹揚おうような声音を出した。

「叔父御、今宵は無礼講にてござれば、まあ、よいではありませぬか。で、姫はなにを欲しいと申されるか」


「格別に欲しいものとてありませぬが、できれば大殿が私めに下された三年前の約定を、今こそ叶えていただきとうございます」


 三年前と聞いて、昌幸は「なるほど。そうか、あのことか」と思い当たった。

 しかし、昌幸は困惑したような表情を浮かべてみせて、しらばっくれた。


「ほう、わしが姫に何をか約束したとな……」

「はい、思い出せませぬか。ほんの三年前のこと。私めが13歳のときにございます」

「はてさて、いかなることであったろうか」


 権謀術数の限りを尽くして、戦国の世を泳ぎ渡ってきただけに、昌幸のとぼけぶりは堂に入っている。


 聡明な佐江姫が、そんな昌幸の手のうちを見抜けぬはずもない。

 あえて嫣然えんぜんたる笑みを浮かべて、切り返した。


「ほほっ、あの日のことをお忘れとは、大殿らしくもこざいませぬ。あれは三年前の節句のこと、私めのお歯黒染めの日に、お約束されたことにございます。そうそう、あの日、京の御前様もいらっしゃいました。ふふっ」


 京の御前様とは聞いて、恐妻家の昌幸が思わずイヤそうな顔をした。妻の山之手殿の顔が脳裏をかすめたのである。

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