第9話 夜叉姫―5

 佐江姫は、真田家当主昌幸の面前に額づき、落ち着いた声で言上した。

「お目のよごれとは存じますが、この祝いの席の酒肴しゅこうとして、幸若舞こうわかまいを献上いたしたく存じます。ぜひお許しのほどを」


 昌幸はおのが前にかしこまる美姫に、精一杯の笑顔で、愛想よく問うた。

「ほう、姫の舞いを目にできるとは、それはまさに眼福がんぷく。かたじけないことにござる」

 しかし、その昌幸の笑顔がどこかぎこちない。

 

 昌幸自身、真田家の支柱として畏敬する叔父の頼綱が、この美しくも聡明な姫御前ひめごぜ掌中しょうちゅうたまとして溺愛していることは十分に承知している。その叔父の手前、精一杯の作り笑いをしてるのだ。あたかも腫れ物にふれるような扱いであった。


 満座の視線を集めながら、佐江姫は舞扇を手にとった。


 佐江姫がつつと座の中央に進み出るや、

つづみはそれがしがつかまつる」

 と、一人の若者が凛然りんぜんたる声を出した。

 その声は、意外なことに、家中からうつけ呼ばわりされる幸村であった。


 鼓が鳴った。

 佐江姫が舞うは、幸若舞「敦盛あつもり」の一節。


「思えばこの世は常の栖にあらず

 草葉に置く白露、水に宿る月より猶あやし

 金谷に花を詠じし、栄華は先だって無常の風に誘はるる

 南楼の月をもてあそぶ輩も、月に先立って有為の雲に隠れり

 人間五十年、下天のうちをくらぶれば夢まぼろしのごとくなり

 一度生をうけ、滅せぬもののあるべきか」


 ひととき夢幻のごとき一輪の花を咲かせて、佐江姫は舞った。

 そして、舞扇をおさめ、昌幸の前に神妙に手をつき、形のいい朱唇くちびるを開いた。

「つたない舞いをお目にかけ、ご無礼つかまつりました」


 昌幸が頼綱の手前、すかさず追従ついしょうの賛辞を述べる。

「姫、見事でござった。これぞ目正月めしょうがつと申すべき」


 このおもねるような昌幸の世辞せじに、佐江姫が驚くべき言葉で応えた。

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