第8話 夜叉姫―4

 前年の天正10年、甲斐の武田家は織田信長にあっけなく討ち滅ぼされた。これにより、主家を失った真田家ばかりか、信州自体が、織田、上杉、北条、徳川といった大勢力の草刈り場になろうとしていた。

 ひとつ対応を誤ると、真田家は武田家同様、滅亡するであろう。


 信伊の音頭で、座が急にくだけたものとなった。皆、頭の中の不吉な暗雲を、酒の力をかりて払いたいのだ。一同は酒をグビグビあおり、本膳、二の膳へと箸をつけた。


 酒がすすむにつれて、昌幸の重い口もつい軽くなる。

「よしっ、今宵はわしもとことんつきあうぞ」

 酒好きの昌幸、次第に上機嫌のていである。


 しかも、この元服式の祝いの席には、妻である山之手殿が2、3日前から風邪で床にし、列席していないのだ。昌幸は、家中の者から「京の御前様」と呼ばれる、おのれの正室が大の苦手であった。


 酒豪の昌幸は、「あの権高けんだかかか殿さえ横にいなければ、この世は天下泰平、小春日和」とばかりに、酒を小姓がつぐたびにグイッとあおった。

 まさに天にも昇る心持ちである。


 今から20年前の永禄7年、京都の公家の娘である山之手殿は、旧主武田信玄の養女となり、その後、昌幸にしてきた。これにより、昌幸と、今は亡き信玄との結びつきの強さがうかがえよう。

 

 しかしながら昌幸自身は、気位が異様に高く、気が染まぬことがあれば甲高い声で異を唱える、この妻に悩まされつづけてきた。ことに嫉妬深さは、狂気ともいえるほどのものであった。


 やがて、宴たけなわとなった頃、不意に佐江姫が昌幸の前に進み出た。その細面の双眸からは、かん気に満ちた強い光が放たれている。

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