応援コメント

第2話 元服式―2」への応援コメント

  • こんにちは。ようやく拝見させて頂いております。少しずつ、拝見させて頂きますので、どうぞ宜しくお願い致します。頑張って下さいませ。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    いつも仕事前に寝ボコ眼で書いていますので、
    毎回、誤字・脱字がありますが、ご寛容にスルーしてください(笑)。
    本人もさほど気にせず、毎日投稿しています。
    読み進めていただくと、徐々に猿飛佐助、望月六郎、根津甚八、
    海野六郎、霧隠才蔵らおなじみメンバーも集まってきます。
    意外なほどの長編になりましたので、
    どうか辛抱強く(笑)お楽しみいただればと願っています。

  • おはようございます。

    個人的な感想ですが、源次郎さんや信繁さんというお名前ですね人、いそうですよね。

    幸村というお名前が架空のものとは知りませんでした。

    作者からの返信

    それが、あながち架空とは言えないのです。
    後年、江戸城の控えの間において、
    幸村の兄の源三郎信幸と旗本との間で、
    こんな会話があったと言われています。

    「ときに、お主の弟君は信繁ではなくて幸村と申すのか」
    「本来の諱は信繁でござる」
    「では、なにゆえに幸村と……」
    「大坂の陣にて、大坂城入城の際、自ら幸村と名乗り申した」
    「ほう、左様であったか」

  • 幸村、大阪だと人気ありますね。
    市内に色々と由縁の場所もあるので。

    作者からの返信

    大坂冬・夏の陣で、真田幸村が本陣を布いた茶臼山などには、一度行ってみたいという願望がありながら、いまだ果たせずにいますが、来春、大東市で歴史に関する講演に招かれていますので、そのついでに、立ち寄りたいと考えています。

  • 以前から『幸村』という名前はどこから出て来たのか不思議に思ってます。
    どれだけ字を崩しても、信繁を幸村と読むのは無理がありそうですし。

    仮名手本忠臣蔵で大石内蔵助を大星由良助に変えたみたいに、彼の活躍を書いた人が当時の幕府を憚って、真田信繁の事じゃありませんよと、取り繕ったんでしょうか。

    実は、九度山蟄居の時に、信繁が生活を支えるためにちょっとエッチな小説を書いていて、そのペンネームが幸村だったんじゃないかと、密かに思ってるんですが。(笑)

    作者からの返信

    夏の陣で幸村が壮絶な討死にを遂げ、「真田日ノ本一の兵」といわれた数年後、江戸城で兄真田信之は旗本の一人から、こう訊かれました。
    「ときに弟君の諱は、信繁とか。しかるに、幸村と名乗ったとも聞く。これはいかなることか」
    「たしかに諱は信繁でござる。されど、真田家の通字は、幸。祖父幸隆、父昌幸、そして身共も元の諱は信幸。弟信繁は大坂城に秀頼様に招かれた際、幸村という通字の入った諱を名乗って入城したと、耳にしてござる」
    「おお、左様でござったか」
    こうした会話が、実際に江戸城であったといわれ、真田家事蹟稿にも書きとめられていたそうですが、松代火災などで真田家の家史はほぼ灰燼に帰し、今やその信憑性は歴史の彼方に霞んでいます。

  • 真田幸村も好きな武将です( ´艸`)作品を読む時は登場人物を俳優とか思い浮かべて読むのですが真田幸村誰がいいかなーと考えつつ読みたいです

    作者からの返信

    想像力をふくらませる時間って楽しいですよね。特にあの人がいいか、この人がいいか、なんて俳優さんの顔を思い浮かべるのは、楽しいものです。海石榴も、誰がいかな、なんて考えながら書いています。