第2話 元服式―2

幸村の元服式が終わった後、幸村の父・昌幸まさゆきは六文銭の大紋を打った素襖すおうの袖をおもむろに広げ、口を開いた。


「源次郎よ。そなたはこれよりいみな信繁のぶしげと名乗るがよい。信繁という名は、わが旧主である信玄しんげん公の弟君のものである。残念ながら、武田信繁様は、川中島の戦いで壮絶な討死にを遂げられたが、あのごじんこそ武士のかがみ、死をいとわぬまことの武将であられた。そなたも信繁様の諱をいただき、ぜひ、ご武徳にあやかりたいものじゃ」


 幸村は幼名を弁丸べんまる、通り名を源次郎と言い、この日の元服以降、真田源次郎信繁と名を改めることになった。


 幸村という名は、江戸期に書かれた『難波なにわ戦記』が初見とされる。その後、『真田三代記』等の稗史はいしが、いずれもその名を用いたため、近世以降、この架空の名前が通称として広まったという説がある。


 また、信州松代まつしろ真田家に伝わる『御事績類典』には、「幸村という名は、信繁が大坂城入城後に名乗ったもの」という主旨が記されているという。


 ともあれ、「幸村」という名は、もはや人口じんこう膾炙かいしゃされており、ゆえに拙著においても、この通称を用いて書き進めることにする。


 幸村は、父の昌幸から信繁という諱の由来を聞かされ、

「はっ、心得ましてございます」

 と、この日、初めて人前で言葉を口にした。


 この17歳の幸村は、どこにでもいるような平凡な容姿の若者であったが、ひとつ大きく人と違っていることがあった。極端な無口だったのである。

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