最終話 甘い毒、禁断の果実が魅せた夢から醒める時

おとぎ話で例えるなら浦島太郎。

楽しいのは夢の中でだけ。

箱を開けてしまえば夢から醒める。

気が付いたら自分には何も残っていない。

残されたのは年老いた自分と、知らぬ間にすっかり変わってしまった世界だ。


予想通り隼人はラスソンを取って現時点では今月ナンバーワンも目前!という所まで来ていた。

「めぐさんありがとー!やっぱりめぐさんが一番大事だよ♡」

隼人は上機嫌で恵の肩を抱き寄せて頬にリップ音を立ててキスをした。

しかし恵は隼人の胸を軽く押して遮るように言った。

「それよりも隼人さん。今日はホテルを取ってあるからそこに来てほしいの。」

「え・・あー・・オレも行きたい所あったんだけど・・。」

「今日は私の行きたい所に付き合って!」

苛立ちのせいかだんだん口調が強めになっているのを恵は自分でも気付いていた。

「そっか・・分かったよ!めぐさんがどんな所に泊まっているのか気になるし、そこで二次会しよ!」

隼人は相手が不機嫌なのを察したのかその場を取り繕うように、恵に従うような口ぶりだ。

恵は歌舞伎町のアパホテルを取っていた。


1回でいい。

私が女である事を感じさせてくれたらいい。


そうすればこの恋はもう終わりにする。


そうでなかったら・・・何をするか分からない。


「さすがだね!めぐさん!安いラブホよりちゃんとしたビジネスホテルなんだね!」

「シャワー浴びましょ。」

隼人のお世辞に反応する事もなく、恵は淡々とシャワーへ彼を誘導する。

「そ・・・そうだね。」

返事を聴くと恵は眼鏡を外し、洗面所のアメニティグッズに手を伸ばしてメイクを落とし始めた。

隼人はいつもと違う恵の様子に戸惑いを見せていた。

いつも自分の言いなりだったのに急にどうしたというのだ?と言ったところだろうか。


「隼人さんもこっち来て。私の身体洗って。」

腰にタオルを巻いた隼人は恐る恐る恵の待つ浴室に足を踏み入れた。

早く来いよと言わんばかりに恵は隼人のその一歩一歩を見張るように凝視していた。

隼人はかがんだ状態でボディソープに手を伸ばして、ゆっくりと掌で泡立てる。

震えていたのかもしれない。

恵のふくよかな背中を抱くようにしてその身体を撫で始めた。

その時に自分の下半身がなんとなくしぼんでいっているのが分かった。


「めぐさん・・・オレ、やっぱり出来ない。」

「どうして?」

「実は・・ずっと言えなかったんだけど。」

「何!?」

隼人は何となく恵から目を反らした。

「オレ・・女の子と付き合った事ないんだ!!!!!!!」

「え・・」

「だからこの前も恥ずかしくて逃げちゃったんだ。」

右手で顔を覆うように隠しながら隼人は言った。

「でも・・・インスタには枕って書いてあったじゃない。」

「あぁ・・あれは全部嘘!しつこく誘ってくる女の子も中には居るんだ。断った腹いせで書かれたんだと思う。オレがめぐさん以外とそんな事する訳ないじゃん。」

「そう・・・だったんだ。・・・何かごめんね。」

「オレ、まだ女性経験もないんだけど、自分に自信を付けたくてホストになったのもあるんだ。大好きなめぐさんの前だと緊張しちゃってきっとうまく出来ない。もっといい男になって自信つけるから・・・そしたら・・・オレの初めて・・・貰ってくれますか?」

「・・・・はい!」

「ありがとうめぐさん!!・・・・でもごめん恥ずかしいから今は服着てくれる?」

シャワーを浴びた恵はさっと服を着て、ベッドの上で隼人と色んな話をして語り合った。

隼人の言葉で先ほどまで自分に生まれていた憎悪が嘘みたいに消えていった。


恋は時に人を盲目にする。

たった一言で元気にも憂鬱にもなれる魔法。

疑えそうな所があっても良い方を信じたい。


一夜明けてまた好きになる。


隼人に見送られながら恵は新宿駅から埼京線に乗った。


結局何もせずに一緒に眠っただけだったが、恵にとってはあの言葉だけで充分満足だった。


『オレの初めて・・・貰ってくれますか?』


自分のベッドの中に入ると恵はショーツの中に手を入れて自分の下を弄った。

隼人のくれた言葉の数々を思い出しながら・・・・。


いつまでもあると思うな親と金、とはよくいったものだ。

貯金がいくらあっても稼がなくては増える事はない。

親がいつまでも守ってくれる訳ではない。


その一方で隼人はめでたく初のナンバーワンに輝いた。

しかし恵の預金通帳の残高は減っていくばかり。

気が付けば残高が20万を切っていた。


だけどそんなに焦っていないのはやはりこの間の隼人との「約束」があるからだろう。


店休日になる度、隼人をデートに誘っているが、ナンバーワンになったおかげでさらに忙しくなったのか、返ってくるのはつれない返事ばかりだ。


『ごめん!幹部会だから時間読めない!』

『楓さんに呼ばれちゃったからまた今度!』

『後輩に飯奢る約束してるからごめん!』


今日も断られたけど仕事なら仕方ない・・・。

でもナンバーワンになったし、そろそろ自分との「先」を考えてくれると信じて、恵は久しぶりにドライブに出かけた。


そろそろ仕事の事も考えなきゃいけない。

そんな事をふわ~っと思いながら隼人と初めて会ったあの美容院のあたりをうろうろしていた。


ここで初めて出会って・・・・。


「あれ・・・あの時切ってくれた美容師さん・・・。」

その横に居るのは・・・

自分の担当美容師の女性と若い男性が親しげに腕を組んでけやき通りを歩いていた。

「隼人さん!!!???」

「あれ~この前いらしてくれたお客様ですよね?隼人の知り合いですか?いつもお世話になっています。」

自分を担当してくれた女性は丁寧に挨拶をする。

「知り合いも何も・・・。」

隼人がバツの悪そうな顔をしているのが分かると、恵はにこっと笑ってこう答えた。

「いえ。こちらこそホテルでは大変お世話になりました。」

「ちょ!!めぐさん!!!」

「私・・・初めてだったんですよね・・・。隼人さんを信じて今まで尽くしてきたのですが・・・まさかこんな形で裏切られるなんて・・・。」

恵はわざと涙を拭く仕草をして見せた。

「は!?お前適当な事言ってんじゃねぇよ!!」

「あ、ごめんなさい。隼人さんも“初めて”だったんですよね。」

「隼人?どういう事?全く話が見えないんだけど・・・。」

「あーーーもう!!めぐさん、悪いけど、あんなのただのリップサービス!このオレが本気であんたみたいなデブス相手する訳ないだろ!オレはホストだ!今どき少女漫画みたいな勘違いすんなよおばさん!!」

「・・・。」


やはり。

本当は自分の事など愛していなかったのだ。


分かっていたからこそ眼鏡の奥底から涙が垂れてくるのが分かる。


ナンバーワンにしてあげたのは・・・自分なのに。


自分には何も残らない。

恵はしばらくその場に崩れ落ちたまま立てないでいた。

今自分は通り過ぎる人からどんなふうに映っているのだろう?


「隼人、あたし達別れよ!」

「は??いきなりなんだよ!あかりにホストやってる事黙ってたのは悪かったよ。さっきのはただの客!!何もしてねーよ!あんなばばぁに。」

「・・・若くてきれいだったらどうしてたの?ホストやってる事は何となく気付いてたよ。でもそのことじゃない。仮にもお客様に対してあれはないわ。あたしに今まで買ってくれたプレゼントとかあの人のお金でもあるんでしょ?自分が辛い時に助けてくれた人なんじゃないの?」

あかりと呼ばれた美容師の女性は隼人を残してその場から立ち去って行った。

「何だよ・・・・。めんどくせぇ・・・!」


あれから何時間も放心状態が続いて、気が付けばまた歌舞伎町に来ていた。

もう隼人には会いたくないけど、あてもなく何となくふらついている。

「お姉さん、どうしたの?そんな顔して!お仕事探してない?」

「え・・・仕事?」

「君なら絶対稼げる仕事あるよ!興味あったらここに連絡してね!」

いかにも怪しいキャッチにも外販にも見える男はクラッチバッグの中から名刺を出した。

「ぽっちゃりパブ・・メロンパイ?」

「そ!ちょーどオープニングメンバー募集中だから!何なら今からお店見学来ない?」

「・・・あなたまで私をバカにして!!!もうほっといてよ!!!」

恵は「ぽっちゃり」というワードで隼人に「デブス」と言われた事を思い出して激昂している。

「気が変わったらいつでも連絡してね~!」


もう何もかも全て嫌だ。

騒ぎを起こした上に、こんなに仕事を休んでしまって今さら「おひさま」にも戻れない。

戻った所で自分は歓迎されるのだろうか?

変な噂をあれこれされて腫物のように扱われるに違いない。

大熊にも彩にも会いたくない。


恵はそんな思いを抱きながら区役所通りを走っていた。


「あれ?めぐさんじゃない?」

聞き覚えのある声に呼び止められた。

「楓さん・・・。」

「どうしたの?もしかして泣いた?」

会いたくもないブラックジャックの従業員に会ってしまった。

そうだ。

ここは歌舞伎町という広いようで狭い街。

知り合いに会っても無理はない。

楓はにこっと笑って自分のジャケットの胸ポケットから出したハンカチを恵の目元に当てた。

「もしかして隼人の事?俺、出勤までまだ時間あるからお茶でもしながら少し話さない?」

「楓さんと・・。」

知ってる人に隼人にされた事を洗いざらい話してしまうのも悪くない。

楓はブラックジャックの代表だ。

もしかしたら何かしら憂さ晴らしが出来るかもしれない。


ソフィア2の向かいにあるセカンドカフェにて恵は今まであった事を楓に話した。

「んー・・・確かにめぐさんの気持ちは分からなくもないかな。」

「ですよねぇ?」

「でも相手はホストだからね。そういう手口で女性をいい気分にさせて堕とすやり方もあるんだ。特に隼人は新人で売れてない頃にめぐさんのような良いお客様に出会ったから調子乗っちゃったんだろうね。」

楓はティーカップに口元を近づけて淡々と憶測を語っていた。

今まで何人ものホストや女性を見て来たのだろう。

「まぁ、だから罰が当たったのかな。」

「え?隼人さん何かあったんですか?」

「あ、やっぱり気になるの!?」

少しにやにやしながら楓が聞き返した。

「からかってないで早く教えて下さい!!」

「めぐさんて・・・結構気が強いんだね。結構好きなタイプだわ(笑)。」

「え・・・って!だからからかわないで何があったか教えてください!!」

さりげなく口説いてくるホスト楓にときめきそうになるのをぐっとこらえて恵は答えをせがんだ。


「実は隼人の奴、最近色んな子の会計を掛けにしてたんだ。それも1万とか2万の安い金額じゃなくて総額で300万。」

楓は続けた。

「ナンバーワンになって色んな人から注目されるのはいいことだけど、変な女の子も居るってのを隼人は油断してたんだ。売掛にした分を回収しきれてなくて焦って女の子に詰め寄ったら飛ばれちゃったって感じかな。」


預金額が少なくなったので恵はブラックジャックに行けないでいた。

きっとその間にあった出来事なのだろう。


だが恵にはもうそれを慈しむなんて事はなかった。

「本当に・・・仕方のない子ですね。」


ずっと続けていたものを捨てて、新しい事を始めるのには勇気が必要。

だけどワクワクもする。

学生の時の新学期のような心が浮き立つ感じ。

どんなクラスかな~とかちゃんと友達出来るかな~とかいろんなドキドキが混ざり合っている。


あれから恵は「おひさま」にちゃんと挨拶に行こうとはするが、連絡もずっと出来ていなかったのもあって勇気が出ないでいた。


そんな時に家を訪ねてきた強者が居た。

「めぐ・・・またあの人が来たんだけどどうする?」

母親が言っている「あの人」とは大熊の事だ。

自分が隼人と会っている時にも何度か家を訪ねて来たらしいが、来ても追い払うように頼んでいたのだ。

「ちゃんと話す・・・。」

「大丈夫なの?何かあったらすぐお母さんに言うのよ!」

「大丈夫よお母さん!私もう間違えないから。」

恵は簡単に髪型だけ整えて玄関に出た。

「めぐさん!!!!久しぶり!!!」

相変わらずでかい声・・・。

近所迷惑もいいところだ。

「・・・そうですね。お元気でしたか?」

「僕は!!!!僕にはやっぱり恵さんが必要なんです!!!」

一緒に仕事をしている時から感じていたのだが、大熊は少し会話がかみ合わない部分がある。


どいつもこいつも男は自分の事ばかり。


「へぇ・・・そうですか。彩さんはどうしてますか?」

「彩さんなら辞めたよ!!有給消化だけしてそのまま!旦那さんとも離婚したみたいだよ!」

「ならちょうどいいじゃないですか。これでめでたくお二人は一緒になれますね。」

恵は自分でも大熊との温度差を大きく感じていた。

「違うんだよめぐさん!!!!僕が伝えたいのはそんな事じゃないんだ!!!!僕が本当に愛しているのは・・・・・君なんだ!!!!」

うるさい・・・。

通り過ぎるご近所さんにこんな奴と知り合いと思われて本当に恥ずかしい。

「ごめんなさい。近所迷惑なのでもう少し声のボリュームを・・・。」

「あぁごめんね!とにかく!めぐさんと僕は運命なんだ!!」


あれだけ私をコケにしておいて随分調子のいいこと言うじゃない。

仕事でもそうだけど、本当にせこくて図々しい男。

自分が一番。

自分の事ばかり。


「ごめんなさい。私はもうあなたとヨリを戻すつもりもおひさまに戻るつもりもありません。」

「・・・・!!!」

「おひさまには後日挨拶にきちんと伺うつもりですので、ここにはもう来ないで下さい。さようなら。」

恵は別れを告げると玄関のドアを閉めた。


あなたは・・・私とヨリを戻す事で会社での体裁を整えたかっただけでしょう。


もう戻らないと決めた。

私にしか出来ない事。

おひさまに縛られずに自由に生きられる場所を見つけたのだから。


「めぐさん!よかった!!戻って来てくれて!本当につらかったでしょう?何も連絡ないから心配したのよ!」

「直美さんごめんなさい。ご迷惑をおかけしました。」

後日恵はゴディバのチョコレートの箱を差し入れに、おひさまに来ていた。

正職員達は恵が久しぶりに姿を見せた事で、困惑もしつつどこか安心していた。

「私はおひさまには戻りません。」

「そんな・・・・大熊さんも彩さんももう居ないのよ?」

直美は極力落ち着いて、諭すように言った。

「そうみたいですね。ですが、私よりもおひさまの未来を背負って立てる方が居るでしょう。」

「え?」

恵は相沢の方を見た。

「え?」

そこに居た全員が騒然としていたが、直美は違った。

「なるほど・・・。それもいいかもしれませんね。」

「はい。相沢さんなら大丈夫だと思います。私は今までおひさまという温室に甘えていました。もっと他の所へ行って自分の可能性を試してみたいです。相沢さん、今まで厳しく当たってしまってすみませんでした。私はあなたの若々しさがとても羨ましかったんです。これからは相沢さんがおひさまを背負って行ってください。」

相沢も驚いていたが、次第に恵の気持ちを受け止めていった。

「はい・・・。」


数年後。

「本日よりおひさまの施設長に就任させていただきます、相沢です。まだまだ未熟ではありますが、よろしくお願いします。」

恵が去ってしばらく経ち、相沢は数々の研修や激務をこなして29歳という若さで施設長に就任した。

彼が新卒の時から見守って来たパートの職員や先輩職員はそれを温かく受け止め、おひさまに新しい風を吹かせた。


一方恵は・・・。

「初めまして~!ご指名ありがとうございます!メロンパイナンバーワンのめーたんです!!」

おひさまを退職してから、なんとあの時スカウトしてきたぽっちゃりパブ「メロンパイ」に勤務していて、見事ナンバーワンに輝いていた。

大熊や隼人の一件、そしてホスト通いで男を見る目が養われてきたのか、恵は自分なりにあの時間は無駄じゃなかったと捉え、うまく経験に変えていったのだった。

「めーたん今月も絶好調だね~!ほぼ毎日お馴染みさんか新規指名ばっか!あの時スカウトしてほんとよかったよ!」

「店長!こちらこそありがとうございます。名刺を取っといて良かったです!・・・それがなければ今も私は腐った人生を送っていたと思います。」

「今のめーたん!とっても輝いてるよ!」

「やだなぁ店長~」

「でも稼ぎ過ぎてまたしょーもない男に貢いだりしないでよ~!」

「そんな・・・!私はあの時の私じゃないですよ~。ナンバーワンなんですよ!私に相応しい男をちゃんと見つけます!」


そう・・・。

もう同じ間違いはしない。

私はメロンパイのナンバーワンめーたん。

誰が何と言おうとこの店ではナンバーワンなんだ。

これが自分の見つけた新しい道。

そして・・・


「いーらっしゃいませーーーー!!!」

ブラックジャックに再び足を踏み入れた恵を待っていたのは・・・。

「いらっしゃいめぐさん。」

「楓・・・・今日も疲れたよ~!ぎゅーってして!」

「はいはいお疲れ様♡疲れたなら今日はずっと膝枕かな?」

楓は恵の腰に手を回しながら席に案内した。


新しい道へ・・・。


禁断の果実に手を出してしまったらなかなか抜け出せない。

だがうまく付き合っていけるならそれはただの快楽になる。


相手を喜ばせる、相手を思いやる。


禁断の果実に手を出したからこそ、恵は変われたのかもしれない。


―完結―

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禁断の果実~三角関係~ まろん @9mayukko9

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