第9話 目覚めはバラの香りで、魔法は解け始める
不夜城新宿とはよく言ったものだ。
深夜2時を回っているのに未だにどこを見ても人、人、人で溢れかえっている。
呂律の回らなくなった酔っ払いのサラリーマンのグループがまだどこかでお店を探していたり、そんな男性達を誘惑する夜の蝶達、まだ夢から醒めたくない女性など、さまざまだ。
恵もまたその中の1人である。
歌舞伎町のど真ん中に、大きな噴水を門に構えた「LIST」というホテルに隼人と2人でチェックインした。
ラブホテルの中ではわりとランクの高い方に入るだろう。
(ついに今夜隼人さんと・・・・!)
自分のモヤモヤがついに解消されるという期待に溢れた恵の横で隼人はスムーズに支払いを済ませ、部屋へと入って行った。
「めぐさん・・・。」
隼人の姿に見とれていた恵は突然名前を呼ばれて肩を震わせた。
「はっはい!?」
「先にシャワー浴びて来たら?」
歩き回って少し疲れたのか、隼人は髪をかき上げながらベッドに倒れるように背中からボスっと音を立てて寝ころんだ。
(シャワー!ついに・・・・!)
恵はいそいそとバスルームに行って興奮と緊張の入り交ざった自分の動悸を落ち着かせようと、シャワーから出る水圧を浴びた。
まずは自分の一番大事なところ、そして脚からボディラインをなぞるように、ボディソープの泡を念入りに身体になじませていった。
(あ・・・もしかして途中で隼人さんが入って来るかも!若いし“そういう事”も好きかもしれないよね・・。)
恵は慌ててバスタブにお湯を張り始め、自分の雑念を消すように再びシャワーの水圧を上げた。
浴室に置いてあったバラの花びら入りの入浴剤を入れて、自分も浴槽に入った。
バラの香りがバスルーム中に広まって、隼人と出会ってから今日までの出来事を思い出した。
大熊と彩に裏切られてからしばらく休暇で引きこもっていて、美容院の帰り道で隼人に出会った。
それから、タイプって言われて何回かデートしてから、お店にも行くようになって、「大好き」って言われて、いつの間にかVIPルームで隼人の同僚の楓や怜にも祝福されていて・・・。
(でも最近デートらしいデートしてないな・・・。お店でしか会ってないし。)
ふと恵は自分が今までブラックジャックで使って来た金額の事を思い出した。
ここ最近、気が付けば毎晩のようにブラックジャックで隼人にお金を使っている。
自分が一体今までいくら使ったのか何となく計算したら、出会って3カ月も経ってないが300万弱は使っている。
今までカードで支払う事が多かったから、自分の預金額の事など気にしていなかった。
隼人に会うための洋服代や化粧品代など入れたらもっとお金を使っているはずだ。
恵はバラの香りに浸るのをやめて、即座にバスタオル一枚で隼人の待っている部屋に戻った。
「隼人さん!!!!」
部屋中見渡すが隼人の姿はなかった。
「隼人さん!?」
先ほどまで居たはずのベッドで寝ているわけでもなかった。
ソファーの前のテーブルに隼人が書いたであろう手紙のようなものがあり、恵はそれを搔っ攫うように取り上げた。
『めぐさん今日はありがとう!一緒にご飯でも食べてゆっくりしたかったけど、めぐさん疲れてるみたいだからオレは先に帰るね!ゆっくり休んでね(●´Д`)ε`○)』
「はぁ~~~~~~~~?????」
恵はその紙きれを丸めて無造作に投げ捨てた。
要するに隼人は恵がシャワーを浴びている間に先に帰ったのだ。
何とも言えない感情。
お風呂でのぼせた訳じゃない。
こういう時怒るの?
怒りが湧いてくるのはそうなんだけど、それよりも・・・。
恵はスマホを乱暴に取り出し、隼人の名前を雑にタップした。
呼び出し音だけがむなしく鳴り響いている。
きっと出ない。
出ないのは分かっていてもかけずにはいられない。
ホテルに行って男に置いて行かれる。
女としてこんなに惨めな事があるだろうか?
大熊と彩に裏切られた時よりも、恵は激昂していて完全に冷静さを失っていた。
そう、惨め。
『隼人さん!!今どこに居るの?』
『私は隼人さんとホテルでゆっくりしたかっただけ!!』
『先に帰るなんて私をバカにしてるの!?』
『今何してるの!?』
『他の女と居るの!?』
『何してるの!早く戻って来て!!』
気が付けば恵は無意識に隼人へのメッセージを20通以上送っていたが、一向に既読にならない。
大熊も彩もこんな気持ちだったのだろうか?
思っている相手から反応がないだけでこんな風に痛めつけられた気持ちになるのだ。
たった1行、一言でいいから返事が欲しい。
恵は気が付けばInstagramでホスト関連のアカウントを徘徊し、その執念で隼人のアカウントを特定した。
『初ラッソン取りましたーーーーー!!!!オレを支えてくれた姫様たちありがとね(*'ω'*)』
その投稿時刻は何と5分前だ。
「はぁ?たった今じゃない。なんで返事出来ないのよ。」
しかしそれよりも隼人の投稿に対してのコメント欄に目が行ってしまった。
『あのデブスのエースのお陰だね!隼人お疲れwww』
『じゃぁ今頃デブスのエースとホテル?』
デブスのエースというのは自分の事だろうと何となく察しがついてしまった。
『隼人この前はアフターありがと♡細客でごめんね(´;ω;`)』
『隼人は会計2万でもアフター枕してくれるコスパ最強ホストだよwwww』
『この前はディズニー楽しかったね♡』
自分が周りから何と言われているかだけではなく、他の女性との情報まで流れ込むように入ってきて恵は隼人の投稿や寄せられたコメントから目が離せなくなっていた。
自分が今まで隼人を信じてきたのは何だったのだろう?
ホストってこういうものなのか。
自分があまりに世間知らず過ぎた事に気付くのが、少し遅かったかもしれない。
ホストやキャバクラ。
お水の世界は遊ぶだけならいいのだ。
決してハマってはいけない。
遊び方を知らないと沼からなかなか抜け出せなくなるのだ。
恵は自分もInstagramのアカウントを作ってそっと隼人をフォローした。
悪循環が続いている環境ならば、新しい風を吹かせるべきだ。
電車やバスに空席があればそこに誰か座るように、仕事も役割が空いていたら代わりに誰かがやらなくてはいけない。
「おひさま」もまた、今大きな変化を遂げようとしていた。
「めぐさんこのまま辞めちゃうんですかね~?」
パート職員達は外に停めてある送迎車の消毒作業をしながら雑談している。
話題はやはりあの三人の事だ。
「ん~大熊さんが完全にこっちには来なくなって、彩さんも辞めて今は離婚調停で揉めてるって話よ!」
「まぁ~あれだけ騒ぎ起こせば仕方ないですよね・・。でも最近おひさまの雰囲気がすごく良くなった気がします!」
「確かに!相沢さんもこっちに戻って来たけど生き生きしてるし、やっぱ彩さんたち居なくなって良かったのかも(笑)。」
大熊はあれから移動支援のみの勤務になったが、外に出かけるような利用者の担当ばかりで他の職員との接触がほぼない。
彩もおひさまは事実上解雇され、自分の夫とも離婚調停中だが、慰謝料を請求されたり子供の親権も奪われそうだわで仕事探しもうまくいかない状態だ。
恵もまた、休職中という形を取り、おひさまにはずっと顔も見せていない。
「皆さん!すみませんがもう14時になるのでミーティング始めます!」
相沢が玄関のドアを開けてお喋りに夢中なパート職員達に声を掛けた。
「はーい!!」
今のおひさまは、直美が総取締で、理沙と相沢でリーダーをしている状態だ。
新しいパート職員も何人か入って何とか回っているが、以前のピリピリした空気はもうおひさまにはなかった。
しかしその一方で恵はとても穏やかな心情ではない。
「ちょっとめぐ!!今日もお出かけなの??あんた最近毎晩一体どこで何してるの!?」
ブラックジャックに通い詰めてるのを母親に言っているわけではない。
だが母親も「娘はただ恋人とデートしてるだけ」とは思っていなかった。
「お母さん・・・彼氏が呼んでるから行かないと!」
なるべく母親に隼人の話はしないようにしていたが、さすがに毎晩めかしこんで出かけていたのを怪しまれているのだろう。
「彼氏っていうけどすごい年下なんでしょ!?大熊さんとダメになったからって焦って変な男に貢いでんじゃないの!?」
「!!!貢ぐなんて!!!隼人さんの夢を応援してるだけよ!!!」
最近うすうす感じていた事を何も知らないはずの母親に言い当てられた気がして、大きな声を出してしまった。
「じゃぁこのカードの請求書は何なの!?」
母親はすでに開封された封書を突き付けた。
恵のカードの利用明細だった。
「お母さん!!勝手に開けないでよ!!」
「あんたここ最近ブラックジャックって所でかなり使い込んでるじゃない!!1日で何十万も使って・・・・。何なのそのブラックジャックって・・!!ホストクラブなんじゃないの!?いい歳してそんな所で男に貢ぐなんてみっともない!!!」
「お母さんには分からない!もうほっといてよ!!」
「ちょっとめぐ!!」
恵は玄関から飛び出すように家を出て、ただ無心に駅まで走って行った。
言われなくたってあのInstagramを見て確信してしまった。
いや、本当はとっくに気付いていたのかもしれない。
隼人の自分に対しての行動で、自分はただの都合のいいお客である事に。
「好き」だと言ってくれるのに、キスどころか手も繋いでくれない。
他のお客とはしてるのに。
それは自分が美しい女性ではないからなのか。
恵は電車の窓にうっすらと映る自分を見て、そんな事を考えていた。
そういえばブラックジャックに来ているお客は、自分の見る限り20代前半の若い女性が多かった。
それもわざわざこんな所に来なくても素敵な恋人がすぐに出来るだろう綺麗で可愛い女性ばかりだ。
自分がもう少し若ければ何か違ったのか?
自分がもっと美人だったら違う人生を歩んでいたのか?
新宿駅の東口を出て歌舞伎町に向かう足取りも、初めの頃に比べたらウキウキした気分ではなかった。
GUCCIのショーウィンドウに映る自分を見て憂鬱になる。
(デブスのエース・・・。)
それでも大熊は自分の事を可愛いと言ってくれたな・・・と不覚にも昔の男の事を思い出してしまう。
「いーらっしゃいませーーーー!!!」
何となく憂鬱な気持ちを引きずったまま、恵はいつものようにVIPルームに通された。
いつの間にか何も言わずに他の席から隔離されたVIPルームに案内されるようになったのも、隼人が恵の存在を恥ずかしく思い、周りの人に見られたくないからじゃないのかと思ってしまう。
「めぐさんおはよ!この前返事出来なくてごめんね!」
隼人は幹部になってから、最初の頃の初々しいスーツ姿ではなく、ラフな私服で出勤していた。
隼人がいつもの調子でペラペラと半紙のように薄っぺらいリップサービスをかましているが、もうほとんど恵の頭には入って来なかった。
別に褒めてほしい訳じゃない。
あなたに愛されたいだけ。
「めぐさん!今日もクリュッグでいいから入れてほしいな~!さっき帰った子がモエロゼ入れてくれたし、もう一人がヴーピン入れてくれるんだよね!今日怜さんお茶っぽいし楓さん出勤してないからワンチャンまたラスソン狙えるんだよね~!!」
もう自分が隼人にシャンパンを入れるのが当たり前のように認識されている事が恵のモヤモヤを助長させた。
「・・・どーせ入れたって私には何もないじゃん。」
「え??何か言った?」
「あ・・ううん。今日は朝まで一緒に居てくれるの?」
「もちろん!クリュッグ入れてくれたらね♡」
隼人は恵の髪の毛を指ですくって唇を当てた。
あぁ・・・もう何も感じない。
好きな訳じゃないんだ。
今まで使って来た金額への執着なのかもしれないけど
まだ気付きたくない。
隼人が自分を変えてくれた事は事実だから。
どうかお願い。
まだシンデレラで居させて。
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