第8話 憎悪のループと駆け引きのオールシャンコ
失恋を癒すには新しい恋というのはあながち間違っていないかもしれない。
よく趣味や仕事に没頭するのが良いとも聞くが、女性は
それよりも新しい男を探した方が傷が癒えるのは早いだろう。
しかしその恋に水を差すような事をされれば話は別だ。
恵のスマートフォンにはあれから相変わらず大熊と彩からのLINEが届いていた。
『めぐさん!君を傷付けた事は本当に悪いと思っている!だけど僕が想っているのは君だけなんだ!』
『めぐさんどうか許して!!めぐさんが居ないとあたしはもう・・・。』
みんな自分の都合ばかり。
相手の気持ちよりも自分を守りたいというのがこういう時に明らかになる。
2人は恵に許しを乞うようにメッセージを送るが、これが余計に彼女の怒りを助長させた。
ここ1カ月で恵はすっかりブラックジャックの常連になっていた。
このウキウキ、ワクワク・・・それから行く前の何とも言えないうずうずした気持ち。
セックスするよりも気持ちのいい男たちからの賞賛。
「めぐさんのおかげで初めてナンバー入れたよ!このまま後2カ月売り上げキープ出来れば幹部になれるって!」
あれから隼人は掃除組を抜け出し、新人ながらも入店2カ月で初めてのナンバー入りを果たした。
「良かったね!私も嬉しい。」
「でも9位じゃまだまだって楓さんに言われちゃったけどね!」
「それでもすごいよ!」
「めぐさんこれからもよろしくね!オレ早く幹部になりたいんだ。」
「幹部になったら・・・どうなるの?」
「出勤にもっと自由が利くようになるし、お店での発言権も増えるんだ。待遇も変わるし。そしたら・・・めぐさんに・・・その。」
たまに見せるこの隼人の恥ずかしそうな顔が恵はたまらなく好きだ。
もう何を言われるのかだいたい予想がつくが、これが楽しみでもある。
「何かプレゼントしたいんだ。めぐさんと2人で頑張ってきたから・・・。」
「隼人さん!」
恵は予想外の「プレゼントしたい。」という言葉で嬉しくなって思わず隼人に自分から抱き付いていた。
恵は自分の肉厚で、隼人も周りのキャストも苦笑いしている事に気が付かない。
その苦笑いは肉厚のせいだけではない事も。
そして今宵もまた、あのときめきを味わいたくていつもより高いシャンパンをオーダーした。
隼人と恵は未だにおでこにキス以外何もない。
それがどこかで恵をモヤモヤさせていたのだ。
「本日またまたシャンパン入りました~!!VIPルームの素敵な姫様より隼人に!!高級シャンパン!クリュッグいただきました~~~~!!」
クリュッグの相場はホストクラブで注文するとだいたい小計15万はする。
小計という事はそこにサービス料が加わる。
歌舞伎町のホストクラブのサービス料はだいたいtax45%位なので小計15万にtax45%乗せるとクリュッグの値段だけで217500円だ。
「めぐさんありがとぉ~~!大好き!」
隼人は横から恵を抱きしめながら頬にちゅっと音を立てて口づけた。
そしてシャンパンコールを聴きながら隼人に恵は手を握られる。
「隼人さん・・・あの・・。」
「隼人さんすいません!!」
内勤スタッフが恵の言葉を遮るようにやって来て、隼人に何やら耳打ちする。
「ごめんねめぐさん。ちょっと行ってくる!」
最近いつもこうだ。
隼人がナンバーに入ってから少しずつ他の女性からも注目され始め、卓被りする事も増えてきた。
来た時に着く→少し離れる→シャンパンを入れたら戻ってくる→コールが終われば席を離れる→会計と言ったら戻ってくる、のルーティンワークになってきているように感じていた。
恵は2人でゆっくり過ごしたいのに、いつもいいところで隼人は居なくなる。
ホストってそういうものなのか・・・と理解したいところだが、恵にはまだそれが受け入れられなかった。
恵をぎりぎりの所で支えているのは、隼人の「めぐさんのおかげ!」の一言だった。
というのも、自分が生きて来た中で、自分の行いによって誰かが良い方向に行った事がなかったからだ。
「おひさま」に新卒で入って来た相沢も、自分と彩のパワハラともとれる仕打ちのせいで異動願いを出していた。
今思えば、相沢だって最初は希望いっぱいで保育士になって入職してきたはず。
それを自分と彩が気まぐれにきつく当たっていた事で他の部署に異動願いを出されてしまった。
以前は彩の陰に隠れていたので恵を名指しで苦情の対象にしてくる職員はそこまでいなかったのだ。
だが、若くて純粋な職員の目には自分が害悪として映ってしまったという事なのかもしれない。
口には出さなくとも他の正職員やパート職員も自分の事をどう思っているか分からない。
一時そのことで直美に相談したり、自分の中でどうやって改善していこうかと思い悩んでいたが、今となってはもうそれすらもバカバカしくなってしまった。
真面目に生きる。
それって本当に楽しいの?
施設をよくするために自分がしてきた事。
自分ではそんなつもりないけど、気が付けば色んな人を傷つけている事もある。
そんなのにいちいち悩んでいるのにもう疲れてしまった。
気が付けばもう40手前。
青春時代も、燃え上がる恋も知らないまま老いていくのか。
湧き上がってしまったこの感情を、隼人は受け止めてくれるのか。
男はナンバーワンになりたいというが女は違う。
オンリーワンになりたいのだ。
「君が一番」ではなく「君だけ」が欲しい。
誰かのたった一人の人になりたいと思うのはおかしい事ではない。
恵もそのうちの1人だ。
今日もブラックジャックでこのVIPルームに恵は君臨していた。
現在自分が隼人の「エース」らしい。
エースというのはお水の世界では自分のお客の中で一番お金を使う人の事を言う。
ちなみに「細い」とか「太い」とかよく言うが、「細客」はあまりお金を使わない、「太客」はお金をよく使う人の事だ。
「めぐさんが一番大切だよ!」
隼人はよく言ってくれる。
だけど、欲しいのは一番じゃない。
「隼人さん、今日この後久しぶりにデートしませんか?夜の歌舞伎町案内してほしいです!それか・・・隼人さんの家でも・・!!」
この頃隼人のお客が増え始めたせいか同伴も出来ていなかった。
「え?アフターって事?」
「あ・・・そういう言い方するのかな?この後どうですか?」
隼人は少し困った顔をして、数分の沈黙の後口を開いた。
「オレはまだナンバーワンになるためにやらなきゃいけない事があるんだ。時間が出来るまでちょっと待ってほしい。」
「ナンバーワンでなくたって隼人さんは素敵だよ!!!」
恵はどうしても隼人との時間が欲しかったために声を荒げ、彼の袖を掴んだ。
「オレはナンバーワンになりたいんだ。分かって、めぐさん。」
恵の両手を優しく握って囁いた。
「・・・でも、めぐさんがまたクリュッグかロジャーのプラチナ入れてくれるなら、今日この後時間作るよ。」
時間作る、という言葉に恵は瞬時に飛びついた。
「クリュッグってこの前のだよね?ロジャープラチナって何?」
「ロジャーグラート・プラチナ。うちにあるロジャーの一番高級なシャンパンで小計30万だからオールシャンコ出来るよ!」
オールシャンコというのは「オールシャンパンコール」の略称で、小計30万以上のシャンパンを入れると従業員が総勢で約30分にわたるシャンパンコールして盛大におもてなししてくれるというシステムだ。
勿論小計30万なのでシャンパンだけで50万位の値段になるのだが、エース級のお客はこれをするためにお金を降り注ぐのだ。
担当ホストの顔を立てるため、売り上げのため、時間を使ってもらうため、もてなされるため。
理由はそれぞれだ。
今月はまだ半月ほどしか経ってないが、恵はブラックジャックで使った金額がすでに100万を超えていた。
ほぼ毎晩のように通い、時には一回の支払金額が15万を超える事が多いのだから当然だろう。
だが恵は隼人と一緒に居る時間を少しでも増やしたくて、時には短い時間しか居られない事もあったが通い詰めていた。
自分の預金通帳の残高など気にも留めていなかった。
「オールシャンコ・・・。じゃぁその、ロジャープラチナで。」
それを聴いた隼人がどこか不敵な笑みを浮かべている事を、抱き寄せられた恵は気付いていないのだ。
「ありがと!めぐさんならそう言ってくれると思った!お願いしまーす!!!」
隼人は内勤スタッフを呼んでロジャーグラート・プラチナを注文した。
「隼人さんこの後・・・!」
「アフターでしょ?もちろんだよ♡」
その言葉を確約として捉えて恵は安著した。
そしてその夜、隼人は初めてのラストソングを取る事が出来た。
ラストソングというのは、その日1日の売り上げが一番高かったホストが周りにアピールする事も兼ねて閉店前に歌を歌う事が出来るのだ。
通称「ラスソン」と略される事が多い。
「めぐさん、何かリクエストある?」
「あ・・・GLAYのずっと2人でを・・・。」
「ごめん、分かんないや、他には?」
「じゃぁV6の愛なんだは・・・」
「ごめん聞いた事あるけど・・・ちょっとわかんないな。NEWSの歌でもいい?」
「あ、NEWSも好きです。」
「じゃぁ決まりね!」
隼人は恵の隣でNEWS「恋を知らない君へ」を歌った。
ここで少しのジェネレーションギャップを感じるとはまさか恵も予想していなかっただろう。
隼人は22歳で自分は39歳。
一回り以上年齢が違うともっと些細な事で話題が合わないと感じるのが普通だろう。
今まで違和感を感じなかったのは、隼人がホストとして仕事をしていたからだが、恵はそのことにまだ気付けていなかった。
深夜の歌舞伎町の街を、恵と隼人は歩いているが、手は繋いでいない。
他の女性に見られると厄介な事になるからだそうだ。
恵は密かにこの後の事を考えて自分のお気に入りの下着を着て来ていたのだ。
今日だけでなく、隼人と会う時はいつもだ。
「ねぇ隼人さん、どこに行くの?」
そっと恵は隼人と指を絡めようと手を伸ばすが、絶妙なタイミングで隼人は少し進んだ先を指さすためにその手を上げた。
「あのお店!つるとんたんて知ってる?うどん屋さんなんだけど、めぐさんあんまり新宿来ないみたいだから連れて来たかったんだ~。」
つるとんたんは高級志向のうどん屋だが、売れないホストがよくアフターで使っている場所でもある。
「めぐさんあんまりこーゆーとこ来ないんじゃないかなーって!」
「・・・あ・・・う、うどん屋ですか。」
隼人の「連れて来たかった」という気持ちは嬉しいが、もうその言葉だけで恵は満足出来なくなっていた。
自分は本日一晩で60万近く使ったのだ。
(それでうどん屋・・・)
まだ店に入る前だったので恵は思い切って切り出した。
「私少し疲れたので、あの辺のホテルで少し休みませんか!?」
大熊と付き合っていた時もそうだったが、こういう所は少し大胆なのかもしれないと実感していた。
「めぐさん・・・そうだよね。・・・疲れたよね。」
隼人はサングラスをスタッズだらけのリュックから取り出し、恵のいうホテル街を徘徊した。
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