第7話 ようこそシャンパンが魅せた楽園へ
女の子なら一度は憧れるお姫様というポジション。
お姫様になるには王子様が必要だ。
だがどの童話を見ても王子様もお姫様も美しくなくてはならない。
まだ昨日の夜の出来事が夢ではないかと思いながら、確かに朝を迎えたのに寝たのか寝てないのか身体が充分に休めていない状態で恵は目を覚ました。
ドストエフスキーの白夜という小説を知っているだろうか?
それには「いちめんに星空を散りばめた、明るい星空」がすばらしい夜であったが、恵にとってのすばらしい夜は星空の事ではなく、昨日の隼人ときらびやかな空間で過ごした時間だ。
たくさんのシャンデリアの光の下で素敵な彼の同僚達に囲まれて、まるで祝福されているような夜。
シャンパンは今までも飲んだ事があるけれど、やはり特別な気持ちにさせてくれるものがある。
あの泡と細見の上品なグラスと、そこから透けて見えるいい男。
これが最高に気分を高めてくれるエッセンスなのだ。
あぁ・・またあれを味わいたい。
そこに居る皆が自分を褒めてくれる。
隼人が自分の隣に居る。
隼人との会話を思い出したり、手を握られた事やお寿司を一緒に食べた事などを思い出して、恵は高揚感に浸っていた。
そうしているうちに無意識にスマートフォンの隼人とのトーク画面を開いていた。
昨日帰ってからすぐに隼人から来ていたメッセージを見ているとなんとなくにやにやしてしまう。
『昨日は来てくれてありがとう!めぐさんが楽しんでくれたみたいでよかった!代表もめぐさんの事可愛いって言ってたけど、浮気しちゃだめだからね!めぐさんはオレのなんだから!』
こんな事言われたのは人生で初めてで、何て返すのがスマートなんだろう?
学生時代にも経験した事のないときめき。
胸が躍るような何でもできそうな感じ。
またすぐに隼人会いたくなって恵は初めて自分からデートに誘った。
『浮気なんてしない!今日は何してる?私も新宿のお店知りたいし、またデートしませんか?』
送り方は変じゃないだろうか?
句読点の位置は不自然になっていないだろうか?
男性とのやり取りはこんなにも色々悩むものなのかと恵は実感している。
しかし来た返信は恵が期待していたようなものではなかった。
『ごめん!今日は予定ある!その後すぐ仕事なんだ!』
恵は隼人と会うのが当たり前になっていたので初めて誘って初めて断られた事にショックを受けていたが、1つの考えがよぎった。
『じゃぁ隼人さんのお店でなら会えますか?』
そうだ。昨日みたいな形でなら会えるじゃないか。
『いいけど、今日は奢れないしお金かかるよ?大丈夫?』
『いくらくらいかかるの?』
『んー何飲むのかにもよるな。めぐさんて普段何飲むの?ビールは端麗しか置いてないんだけど、2時間位居て、普通に飲んだら5万あれば収まると思うんだけど。』
『5万でいいのね?分かった!何時から行けばいい?』
『オレは掃除組だからオープンの19時から居るよ~!』
ちなみに掃除組というのは、一般的には1カ月の売り上げが小計30万以下のホストの事を言うらしい。
売り上げが低い=暇なホストという図式が完成され、そこに該当するホストは早めに出勤して店内の清掃や買い出しをしなくてはならないのだ。
同伴などの予定があれば掃除をせずに少し遅い時間に出勤する事が出来るらしい。
『じゃぁ同伴は!?』
『えー!!嬉しい!昼間予定あるから18時半位からならいいよ!』
恵はある程度のシステムを聴いて、そのくらいなら払えると思って早速隼人と同伴する事になった。
「こうしちゃいられない!」
恵はクローゼットのドアを開けて、しまい込んでいた洋服たちを眺める。
元々華がないと実感していたが、今本当にそう思う。
前におひさまに居た祐佳は自分より一回りは年上なのにいつもきれいにメイクしていたなぁと思い出す。
あの時もっと色々教わっておけばよかった。
時計を見るとまだ13時過ぎだ。
まだ時間はある。
恵はメイクだけ済ませると家の玄関を飛び出して車を大宮まで走らせた。
大宮のルミネまで行くと各階を回って自分が着ても大丈夫そうな雰囲気のテナントを見ていく。
目についたのはMURUAだ。
わりと雰囲気はギャル系のようだが、マキシ丈のワンピースやスカート、気になる二の腕を隠せそうなカーディガンもある。
「いらっしゃいませぇ~!」
ショップの店員の甲高い声を聞き付ける恵はその声をかっさらうように探した。
「すいません!!!!私でも似合う服ありますか???なるべく体型が隠れて若く見える服でお願いします!!!」
「は・・・はぁ・・。」
いきなり大きな声を出されて驚いたのか女性店員は少し怖気づいてしまったようだ。
見たところまだ20代前半だろう。
細見のスキニーに少し透け感のあるテールロングのブラウスで、インナーにはチューブトップを合わせたクールな着こなしだ。
「そうですね~こちらのマキシ丈のスカートはウエストがゴムになっているので履きやすいですよ。それに合わせてこちらのオフショルダーなんていかがですか?」
「オフショルダーって肩出ますよね?体型が・・・」
「逆に!大きめのパフスリーブになっているので自然に着こなせると思いますよ!一度着てみますか?」
着るだけならタダ!!
恵はそう強く念じて勢いよく試着室のカーテンを開けた。
女性店員の名前は金田というそうだ。
金田は少し経つと程よい感覚で、試着室の恵に声を掛けた。
「お客様、いかがですか?」
「え??あ!!今開けます~!」
金田の言った通りスカートはゴムだったので
「ほら!やっぱり似合いますよね~!!さらにこのベルトを合わせていただきますと、コーディネートが締まりますよぉ~!」
金田は黒い細目のベルトを恵の履いてるスカートの上からあてた。
「あ・・・ほんとだ。」
恵は鏡を見て、似合うかどうかよりも「洋服を選ぶのが楽しい」という事を実感した。
「じゃぁこれにします!後、金田さんが履いてるその靴ってここのですか?」
「あ・・・これもここのなんですけど、ウェッジソールなので長時間でもピンヒールに比べたら全然歩きやすいですよ!」
「ではそれもお願いします。」
「ありがとうございま~す!!!」
恵は勧められたスカート、ベルト、それからブラウスを色違いで2枚、サンダル、ついでに背が低くても似合うと言われてワイドパンツも買った。
「42470円になります。」
「一回で!」
恵はクレジットカードで支払いを済ませると一安心した。
休む間もなく急い車を自宅まで走らせてから一度シャワーを浴びる。
その時に自分の全身を見て「自分はまだまだ太っている・・・。」と実感した。
痩せて隼人に釣り合う女性になりたいと願った。
自分を好きだ、好みだと言ってくれた隼人のために綺麗になりたいと思っていた。
そして買ったばかりのコーディネートで隼人と食事した後にブラックジャックのドアを開けようとした。
店に足を踏み入れる直前に、後ろから隼人が抱きしめてきた。
「めぐさん・・・・今日も会えて本当に嬉しい。」
ここから抜け出せる気が・・・今はしない。
アダムとイブは禁断の果実に手を出してしまったために楽園から追放されたというが、そこは本当に楽園だったのだろうか?
楽園というのは「楽しい園」と書くのだ。
あれはダメ、これはダメと決まりばかり作って制御ばかりしては楽園とは言えない。
「楽園」と調べると「苦しみがなく、楽しさに溢れた場所」と出てくる。
恵は今まさに楽園に居る感覚だ。
「いや~めぐさんいい飲みっぷりですね!」
ブラックジャックの部長の怜が恵の左隣に座って、空いたグラスにビールを注ぐ。
「いえ・・・そんな事は・・。」
隼人も長身だが、怜も元モデルをしていたらしくスタイルがいい。
さらに顔面を例えるならジャニーズ系の美形だ。
部長という役職にもついていて、売り上げも9カ月連続で1000万以上をたたき出しているブラックジャックの柱のような存在だ。
「めぐさんが来てくれたから隼人の奴、今日は特に張り切ってますよ!」
「怜さん!!恥ずかしいからやめてくださいよ~!あんまめぐさんの前でいじらないでって言ったじゃないですか!」
役職者がヘルプで付いてくれている様子を見ると、隼人が先輩達から可愛がられているのが伝わってくる。
「でもオレ、まだ入ったばかりですけど、怜さんや楓さんみたいなホストになりたいんです!!」
「お前はまず掃除組を抜けないとな。」
「あのぉ~・・・。」
2人のやり取りに恵が割って入る。
「どうしたのめぐさん、寒い?」
右隣に座る隼人が恵の肩を抱き寄せながら言う。
「いえ・・・その掃除組ってのを抜けるとどうなるのでしょうか?」
掃除組というのがどういうものなのか何となく隼人から聞いていたが、具体的にその先がどうなるのか恵にはよく分からなかった。
「掃除組を抜けると、まず掃除をしなくていいから出勤時間が20時以降になるんだ。同伴の時は21時くらいに出勤すればいいし服装も自由!さすがにジャージはだめだけどね(笑)。」
隼人が恵に笑いながら教えてくれた。
「めぐさんとも・・・その・・。」
隼人が恵の耳元にそっと顔を近づけた。
「もっと一緒に居られるよ。」
耳元に感じる隼人の吐息とほのかに香るアリュールの香りが恵の全身の感覚を震わせた。
「ち・・・近いです!」
「あ~何かオレは邪魔みたいだから抜けるね!」
怜が恵の席から離れて、隼人と2人きりになった。
「もう少しでキスしちゃいそうだったね。」
隼人は舌を出して見せた。
「隼人さん!メニューをお願いします!!」
「ん?いいよ!お願いしまーす!」
隼人は大声を上げて店内をうろうろしている内勤のスタッフを呼んだ。
メニューを受け取った恵はシャンパンメニューのページを開いた。
「この・・・モエ・アンぺリアルロゼを・・・。」
「光るモエ飲みたいの?でもそれ入れたらお会計15万位になっちゃうよ?大丈夫?」
「うん!大丈夫。隼人さんと一緒に飲みたいの。」
恵は隼人とうまく目を合わせられずに呟いた。
「えーーーー!!シャンパン初めて!!めっちゃ嬉しい!!!めぐさん大好き!!」
隼人は思いきり恵を抱きしめた後に再び内勤スタッフを呼んで、モエ・シャンドン・ネクター・アンぺリアルロゼ・ドライを頼んだ。
その時はこの前と違った興奮が恵の頭の中に入ってきた。
「え~本日のスイッチシャンパンは12番卓の素敵な姫様から隼人に高級シャンパン、モエ・シャンドン・ネクター・アンぺリアル・ロゼ・ドライいただきました~!!!従業員勢ぞろいでコールさせていただきます!!」
スタッフのアナウンスと共にアイスペールに入れられたシャンパンのボトルが恵のテーブルに運ばれてきた。
隼人と恵は目の前に置かれた2つの細いグラスにそれぞれのピンクゴールドの泡が注がれているのを見つめた。
ブラックジャックの従業員達の盛大なコールを聴きながら恵は、隼人のぬくもりとオレンジに光るボトルにうっとりとした。
「それでは姫様から隼人に一言お願いしまーす!!!」
突然マイクを自分に向けられ、恵は隼人と二人きりのような感覚から引き戻された。
「え?え~と・・・」
こんな事初めてで何を言えばいいのか分からない恵をよそに、隼人がそっとマイクを取った。
「僕も姫もこの世界の事はよく分かりません。ですが、姫がくれたこの第一歩を大切にして、2人でナンバーワンを目指したいと思います!!」
隼人は堂々とマイクパフォーマンスをこなし、周りの従業員やブラックジャックに来ていた他のお客達を騒然とさせた。
「めぐさん今日はありがとう!!来てくれてめっちゃ嬉しかったし、初めてのシャンパンがめぐさんだったのも嬉しい!ほんとはもっと一緒に居たいけど、めぐさんお嬢様みたいだから仕方ないか。」
気が付けば時計は22時半を回っていた。
「ううん!全然!私も会いたかったから。」
「めぐさん・・。」
「ん?」
隼人が恵の前髪をめくり、彼女の額に唇を当てた。
「は・・!」
「おやすみ!!家着いたら絶対LINEして!」
一瞬の出来事で何が起こったのか分からず、恵は帰りの電車の中でぼーっとしていた。
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