勿忘草の祈り

@kasya_oxo_

薄明に溺れる

浅葱色の瞳が、木洩れ日に誘われてゆっくりと開いた。


窓の木枠の外からちゅんちゅんと小鳥が戯れ遊ぶ声が聞こえる。レースカーテンの隙間からちらちらと覗く新しい日差しが彼女の上を行ったり来たり。

ゆっくりと身体を起こす。肩口から月白色の長い髪がさらさらとすべり落ちた。ふいに見下ろす膝にぽたりぽたりと雫が海を作る。

「――、」

涙?

はっとして顔を上げると、既に瞳の揺れは止まっていた。指先で目を擦っても涙の気配はない。

変な夢でも見たのだろうか。ひとつため息をついたその後で、彼女は壁掛けの時計を願うような気持ちで見る。


六時を五分だけ回った時計から目を外し、安堵にもうひとつため息をついた。ベッド横のスリッパを足にひっかけて立ち上がる。きいと控えめになる床を進んで姿見の前へ。

しわになったネグリジェから肩を外し、フリルを抑えた純白のミモレ・ワンピースに袖を通して、お守りみたいにつけている白いレースの髪飾りを顔横の髪にゆるく結べばいつも通りの少女の姿が鏡に映った。つま先のきつくない、瑠璃色の低めのヒールを履いて重い木の玄関ドアを押し開けた。


照りつけるやさしい朝日の眩しさに一瞬目が眩む。ついこの間までは一面銀世界につつまれていたというのに、もうすっかり花の蕾の開くような雰囲気だ。ここアネーロの町は現在春。特別季節に親しむという東洋の国では立春とでも呼べようこの時期、この町は花で溢れていた。時折背の高いガス灯がちらちらと薄明の日を反射して輝いている。あっという間に匂いの変わった花の空気を吸いながら溶け残った雪をさくさく踏みつけ、赤煉瓦造りの家々を横目に歩く。


ぎいいと重い扉を開けて1歩踏み入れると、不思議な甘さの深い香りが鼻腔をつつむ。早朝なせいで誰もいないようだ。真っ白な床にステンドグラスの影が落ちて虹を作っている。十字架の前に立ち、場所を使わせてもらうお礼に手を組む。それから適当な席に座って豪奢な飾りやパイプオルガンを眺めるのだ。いつもより早く起きた時、教会で過ごす時々のこの時間が好きだ。天使や花のように見えるたくさんのモチーフがあしらわれたステンドグラスから差し込む光に埃が反射して見える。

そして、あれ、と思う。

パイプオルガンの鍵盤の上に、なにか置いてある。

日常に入り込んだ異物に彼女はすぐに気づいた。軋む床をそっと歩いて近づくと、それは。

「……」

わすれなぐさ?

咄嗟に出てきたその花の名前を、何故知っているのだろうかと息を呑む。それは光を受けてうつくしく、まるで昼の空をそのまま映し込んだような青で、水に活けられているわけでもないのに萎れることなく、鍵盤の上で花開いているのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

勿忘草の祈り @kasya_oxo_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ