Act.2-3

 兄が卒業して、二年が経った、夏。

「クロセ! 右は任せた!」

 教官の指示が飛ぶ。頷いて、永は銃を構え、大きく飛び出した。常夜灯がほのかに照らす薄闇の埠頭。コンテナの陰から陰へ、銃弾を掻いくぐって《標的ターゲット》に近づく。

「クロセ……ッ」

 ひとつ先のコンテナの陰から、永を呼ぶ声があった。

 しくじった前衛のチームメイト。同い年くらいの少年だった。利き腕を負傷し、コンテナの両側から敵に挟まれ、絶望の面持ちを向けている。

 教官からは、手負いの仲間は見捨てるように言われていた。任務の完遂が第一であると。それは永にも理解できる。だが――

 トン、と地面を蹴り、コンテナに上がる。敵に気付かれる前に素早く飛び越え、チームメイトの前に降り立った。着地と同時に背に庇い、両側の敵にトリガを引く。一瞬の早業に、敵は顔に驚愕の表情を張り付けたまま絶命した。

「たっ……助かった……! お前、すげぇな! 感謝するぜ! クロセ!」

 チームメイトの少年が破顔する。だが、永は無表情に弾倉を交換しながら、少年を一瞥もしなかった。

「感謝されることじゃない。守りながら撃てるか……それを試す訓練になるかと思っただけだ」

 それに……と、続く言葉を、永は留めた。

 再び銃を構え、次のコンテナの陰へと駆けていく。

 兄なら……誰も死なせなかった兄なら、どんなに足手まといになる仲間だって、見殺しにはしなかっただろう。



 任務から戻った夜更け。がらんとした食堂で、ひとり、取り分けて置かれた遅い夕食を取っていると、報告を終えた教官に呼ばれた。連れられた先は院長室だった。

「実地訓練で疲れているところ、ごめんなさいね」

 院長は年配の女性だった。小柄だが、姿勢が良く、すらりとしていて、健康的な小麦色の肌に、オフホワイトのスーツがよく似合っている。アッシュグレイの髪は豊かで、高い位置で結い上げている。

「永・クロセ。貴方を第九機関に推薦することが決まったわ。再来月、貴方はここを卒業することになります」

 おめでとう、と微笑む院長に、永は問いかけの瞬きをする。

「俺は、まだ、十四ですが……」

「そうね」

 院長は、慈しむように目を細めた。

「貴方が、この院へ来たのは、五歳の時だったわね」

「はい」

「それは、他の子たちより、随分と幼い年齢なの。この院に〝勧誘〟する目安は、七歳から九歳……そこから卒業まで大体六年前後で学べるよう設定しているのよ」

 つまりね、と院長は言葉を続ける。永を見つめて、薄く微笑みながら。

「貴方は既に、この院のカリキュラムを全て履修できている。特に、ここ二年間の貴方の成績は大変優秀で素晴らしい……一年前倒しで卒業することに異論を唱える教官はいません」

 さらにもうひとつ、と院長は笑みを深める。

「由・クロセ……貴方の兄が、この度、正式に補佐から昇格し、《調整人コーディネータ》に就くことが決定しました」

「兄さんが……」

 どくん、と心臓が跳ねる。それじゃあ、自分は……

「ええ。それに合わせて、貴方には、彼の《護衛人ボディガード》に就いてもらいます」

「っ……《護衛人ボディガード》……!」

 食い入るように、永は院長を見つめた。願い続けたことが、望み続けたことが、まさか、こんなに早く叶うなんて……。

「私たちは、貴重な人材が、最も力を発揮できるように《キャスト》を割り当てます。貴方には、兄という《調整人コーディネータ》を守る《護衛人ボディガード》の役割が、最も適していると判断しました。……これからも組織のため、ひいては国のために励んでください」

 微笑む院長に、永は深く頭を下げた。



 部屋に戻っても、永の心臓は早鐘を打ったままだった。嬉しくて、うれしくて、眠れない。

 二段ベッドの上段を見上げる。兄が卒業して、二人部屋は、永ひとりになった。この二年間、ベッドの空白を、ルームメイトが埋めたこともない。ここは、施設は広大だが、子供の数は、それほど多くはないのだ。少数精鋭なのだと教官は言っていたけれど、勧誘されて入ってくる人数と同じくらい、実地訓練で命を落としていく。

「……兄さん」

 ベッドの梯子を上る。ブランケットも取り払われ、兄の気配は、今はもう、どこにもない。それでも永は、そこに、そっと身を横たえた。

 兄と一緒に、この二段ベッドの上段にいるのが好きだった。澱んだ地上から隔絶され、ふたりきりで空の上にいるような心地がしたからだ。

「やっと、守れるんだ……」

 ぎゅっと両手を握り込む。

 人を殺しても吐かなくなった。今しがた人を撃った手で、平気でフォークを口に運ぶことができるようになった。大丈夫だ。もう、大丈夫だ。

 五歳の冬を、思い出す。《勧誘人スカウトマン》のテストのとき、兄は演技にかこつけて、永をあの場から遠ざけた。今なら分かる。あれは、兄が人を撃つ瞬間を、永に見せないためだった。兄らしい、どこまでも兄らしい遣り方だった。

 けれど、これからは、違う。

「……撃って、殺して、守るのは、俺の役目だよ、兄さん」

 薄く微笑み、目を閉じる。

 夏の終わりが、待ち遠しくてたまらなかった。


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