第32話 散歩
「よーし! 散歩に行くぞ。
「ワン、ワーンってなるか! 冴島くん。何を考えているわけ? 信じられない」
「まぁ、そう言わずにせっかくだから」
「せっかくって何? 私の醜態を晒すつもり?」
本気と捉えた兼近さんは激しく抵抗した。
普段見られない反応に思わずデレてしまう自分がいた。
「どうしてもダメ?」
「ダメ!」
「公園一周だけでも」
「誰かに会ったらどうするの」
「じゃ、コンビニまで」
「話聞いていた? 人に会うのはダメだよ」
「じゃ、アパート周り一周」
「その一周がどれほど危険か分かっているの?」
「誰かに兼近さんを犬として見せつけたい」
「結局それかい! 冗談じゃない」
ふんと兼近さんは後ろを向いて拗ねてしまった。
こうなったらあの手でいこう。
「はぁ。俺、頑張ったんだけどな」
「……急に何?」
「あのゴミの量を片付けようと思ったら身を削るような思いをしなければならない。俺は何の為に頑張ったのだろうか。あれは業者を呼ぶレベルだ。それなのに素人の俺は汚れの落とし方や片付け方法など一から調べてコツコツと一人でやり遂げた。それなのにその見返りは言うことを聞いてくれない犬と言う仕打ち。こんなのあんまりじゃないか。せめて言うことを聞いてくれる犬さえいれば俺の苦労は報われるのに。それなのに……。うっ、うっ!」
「わ、分かったわよ。言うことを聞けばいいんでしょ? それで満足なんでしょ?」
いいように俺の泣き寝入りが刺さってくれた。やっと俺の思い描いていたプレイが出来そうだ。
「その代わりアパート周りの一周だけね。人が来たらダッシュで逃亡するから」
「うん。それで充分だよ。じゃ、行こうか!」
俺は満面の笑みになっていた。それを見た兼近さんは嫌な顔をする。
犬プレイの条件を出した割に全然乗り気ではない兼近さんは何がしたいのだろうか。思いつきで言っただけか。
そして、玄関で靴を履いてあと一歩で外と言うタイミングで兼近さんは踏み止まった。
「どうしたの? 早く行こうよ」
「なんか急に恥ずかしくなってきた」
「兼近さんでも恥ずかしいと思えることもあるんですね」
「私が恥知らずとでも言いたいの?」
「いや、いつも堂々としているのでこういう時も堂々と出来るのかなって思ったんですけど」
「別に出来ないとは言っていないでしょ。こんなの余裕よ」
そう言いながら兼近さんはフードを深く被った。口元しか見えない。
そしてドアノブを引いて外へ飛び出す。
「うわ。はず!」
「犬の散歩ですので兼近さんが前を歩いて下さい。俺が後ろからロープで引いているので」
「そう言うところはしっかりこだわるのね。いいじゃない。行ってやるわよ」
兼近さんは犬としての一歩を踏み出した。
さすがに四つん這いとはいかないので普通に二足歩行で歩く。
アパートの階段を降りていよいよ敷地内から出ようとするタイミングだ。
「よし。だ、誰もいないわね」
キョロキョロと兼近さんは念入りに周囲を確認する。
お尻の尻尾がフリフリとしているのが可愛く見えた。
「早く行って下さいよ。後ろがつっかえているんですから」
「急かさないでくれる? それに別に急ぐことでもないでしょ」
文句を言いながらいよいよ敷地外へ踏み出した。
出来るだけ白線の外側ギリギリで塀や壁に這うように歩く。
今の兼近さんは相当恥ずかしい思いをしているに違いない。
形だけのロープを持つ俺は気分が良かった。
「誰かに会いませんように。誰かに会いませんように」
兼近さんは祈りながら歩く。
すると前方から通行人が歩いてきた。
犬の散歩をする女性だ。接触は避けられない。
「ほら、やっぱり誰か来た! もう」
兼近さんはその場にしゃがみこんで身体を丸めた。
すれ違うまでこれで凌ぐつもりらしい。
俺も自分の身体を盾にして兼近さんを隠すようにした。
徐々に前方の女性と距離が縮まったその時だ。
ピタリと女性は足を止めた。
「あれ? もしかして冴島くん? やだ、偶然!」
女性の正体は
ランニングウェアを着たスタイリッシュな格好で犬の散歩をしていた。
どうやら一番会ってはならない人物に会ってしまったようだ。
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