少女はそう足が速いわけでもなく、目立つ格好をしているからむしろ追いかけるのは難しくなかった。時折後ろを振り返りながら少女は必死に逃げ続ける。彼女に追いついたとして、僕はいったい何をする気でいるんだろうか。はたして僕に、ができるんだろうか。走りながらも胸に覚えた迷いはまだ消えない。

 不意に少女が道を曲がり、細い路地裏へと駆けこんでいく。僕もその路地裏へと足を踏み入れ、そして気づいた。——霊だ。おそらくは小動物のものと思われる小さな魂がいくつも浮いている。そしてそれらはゆっくりと少女に吸い寄せられていく。ようやく足を止めた少女に僕は問いかける。


「……君は、悪霊なのか?」


 少女は答えない。吸い寄せられた魂は一つの塊になり、小さな白い飴玉のような形をとる。少女はその小さな玉を迷うことなく口に入れた。その瞬間、周囲の空気がはっきりと変わったのが感じ取れた。鮫島さんの言っていたことを思い出す。悪霊は地上の魂を食べてしまうこともある。その結果、サメシャークのように強い力を手に入れるものもいる。間違いない、この子は——悪霊だ。

 少女は一歩、前に歩み出る。僕は鎌を構えた。うわごとのように少女が呟くのが聞こえる。


「……きらい、きらい、きらい。みんな、きらい。誰もたすけてくれなかった。王子様も、優しい魔女も来なかった。ぜんぶ、ぜんぶ、うそだったんだ。だから、ぜんぶきらい。……ぜんぶ、こわす」


 すると道端に置いてあった植木鉢やごみ箱がふわりと浮かび上がる。これは、ポルターガイスト……! 物理的な干渉力まで持ってしまった悪霊を放置することはできない。鮫島さんがいない今、僕がやるしかない。


「ぜんぶ消えちゃえ!」


 少女の叫びと共に道端に置いてあった物が次々とこちらに飛来する。それを避けたり鎌で打ち返したりしながら、少しずつ少女との距離を詰めていく。


「……っ! 来ないで!!!」


「ぐっ!?」


 少女の甲高い叫び声が脳を揺らし僕の平衡感覚を奪う。ゆっくりと見えない何かで首を締めあげられているような感覚がある。このままではまずい……! その時、僕の目の前に音もなく何かが着地する。


「秘技・ネコニコバーン!」


「きゃ!?」


 眩い閃光が放たれ、その瞬間に僕は体の自由を取り戻す。そこに立っていたのは猫耳娘だった。


「お前、どうしてここに……!?」


「か、勘違いするにゃ! うちはあの時の借りを返しただけにゃ!」


「呪詛——金縛り」


 すると今度は道の向こう側から聞き覚えのある声が聞こえてくる。それと同時に糸のような物が少女に絡みつき、その小さな体を拘束する。術を放ったのはやっぱり鮫島さんだった。しかしゆっくりと少女に近づく鮫島さんは、なぜか鎌を振ろうとはしなかった。


「新藤君、君がやって」


「……え?」


「そのつもりで来たんでしょ? なら、君が切るべきだよ」


 鮫島さんからは今までのような緩さは感じられなかった。僕が見つけて、僕が追い詰め、そして切ろうとした。だから自分の仕事の責任を最後まで果たせと、鮫島さんはそう言っているのだ。

 僕は鎌を握りなおし少女へと近づく。今にも泣きだしそうな少女の声が聞こえる。


「きらい、きらい、きらい……! みんなきらい、だいっきらい! わたしは一人だったのに、誰もたすけてくれなかったのに……! ずるい、ずるい、きらい、だいっきらい!」


 僕は、これを切れるのか。本当に、切らなければいけないのか。頭ではとっくに答えがわかっていても、体が思うように動いてくれない。静かな、だけどはっきりとした声で鮫島さんが言った。


「誰かが終わらせてあげないといけないの。じゃないとこの子は永遠に憎しみに囚われ続ける。自己満足でも偽善でもいい。……切ってあげて」


「新藤が切らないならうちが食べちゃうにゃ。それが嫌なら早くするにゃ」


 僕は意を決して鎌を振り上げる。霊体だろうが鉄骨だろうが、なんでも切れる死神の鎌。この鎌ならこの子の因縁だって断ち切れるはずだ。


「……ごめんね」


 憎悪に染まったその瞳に一瞬だけ別の感情が宿ったような気がした。僕は鎌を振り下ろす。手ごたえはほとんどなかった。まるで柔らかい綿の詰まったぬいぐるみを切ったみたいな、そんな感触だった。少女は消滅し、後には何も残らなかった。あまりにも軽く儚い命だった。


「……お疲れ。上出来だよ」


「新藤、大丈夫にゃ……?」


「……お前、人の心配してる場合かよ。次は自分が切られるかもしれないのに」


「そ、それは……」


「ああ、それなんだけどね。この猫女はもうほっといていいよ」


「え?」


「にゃに!?」


「実は悪霊を減らし過ぎるのも良くないの。数が減ればその分特定の個体に力が集中しやすくなる。だから弱い悪霊はあえて退治しないことも多い。私たちは業務に支障が出ない程度に間引きするだけ。死神の仕事は魂を管理することであって、悪霊を根絶やしにすることじゃないからね」


「じゃ、じゃあにゃんでうちを追っかけまわしてたのにゃ!?」


「え、なんかムカついたから」


「えぇ……」


 いつのまにか鮫島さんは元の雰囲気に戻っていた。真面目な鮫島さんもかっこよかったけど、なんだかこっちの方が逆に安心できる。死神も悪霊も想像していたのとは全然違ったけど、今はそれを知ることができてよかったと思えた。


「さてと、それじゃそろそろ会社に戻ろうか」


「……はい」


「むむむ……にゃんか釈然としないのにゃあ」


 不満げな猫耳娘を置いて僕たちは上空へと舞い上がる。死神になったらいつかあいつを切らなければいけない日が来るかもしれない。まあでもその時はその時だ。鮫島さんの言う通り、肩ひじ張らずに気楽にやるのが一番かもしれない。

 決して楽な仕事ではない。だけど誰かがやらなければいけない大切な仕事だ。その本質は多分変わらない。死神、案外悪くないかもな。でもこの会社、なんかやばそうな匂いがするんだよなぁ。死神インターン、新藤シキの悩みは絶えない。

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シニガミ・インターン 鍵崎佐吉 @gizagiza

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