第3話 赤毛の少女

 ステラは机に向かい、バターが塗られたブレッドをモシャモシャと頬張る。

 周囲には誰もいない。

 先程自分がステラという名前であること、相当高貴な家柄の箱入り娘であることを知った。

 それからすぐに、その箱入り娘は大層嫌われ者だということを理解した。

 すれ違うメイドは恐懼の表情で固まり、食事を運んできた赤毛の娘は、これから斬首される掏摸のように震えていた。

 人から忌み嫌われることに慣れきっている柊二郎ですら、ここまで明らかに恐れられたことはない。


(この女、どんだけやらかしてんだ……うめえなこれ)


 朝食が比較的固いバゲットでよかった。今のステラの食べ方は、マナー講師が見たら卒倒するレベルである。ステラは嫌われているから食事の場には誰もいない。黙々と食し、平らげるとすぐに席を立った。

 食事内容も、室内で靴を履くのも、蝶番式の扉も何もかもが、目新しい。

 とはいえ、好奇心のままに動くわけにはいかない。

 問題は山積みだ。何よりの問題は、相談する相手だ。柊二郎は一匹狼を貫いてきたから、親しく相談する相手がほとんどいなかった。敢えて言えば、見習い同心の時から従えてきた目明かしの玄七げんしちくらいだ。

 ステラにも、異常な事態を腹を割って話せるような相手はいなさそうだ。

 未知の世界で、独りきり。それならば、独自に慣れていくしかない。

 ここまでくれば、頬をつねらなくとも夢でないことは理解できる。


「あー……やっぱ女だ。くそ、これだけでもなんとかならねえのか……肩が重くて仕方ねえ」


 ついでに体全体も重たい。ステラの体は、剣術の稽古と仕事で鍛えられた柊二郎にとって、錆びたブリキ人形のように鈍重なものだ。

 廊下に出て窓から見下ろせば、小さな中庭がある。

 前方に気配がした。

 またメイドだ。また震えている。

 

「お、お許しください」


 何をだよ、と思いながら、どうせ声をかけても怯えるだけなので無視して通り過ぎる。

 どうせなら、憎悪の視線が欲しい。純粋な恐怖だけだと、居心地が悪い。邸内の女中全員にここまで畏れられるこのお姫様は何者だよ、と本気で訝しむ。

 階段を下りる。赤毛のまだ十そこらの少女が、踊り場の隅にある重厚な鎧を磨いている。


「あ……おじょうさま、おはようございますっ」


 また怯えている。目には涙をためて。

 ステラは何も言わずに通り過ぎようとしたが、赤毛の少女が手を離したことにより鎧が均衡を失って倒れようとしているのに気づく。


「おい、あぶな」

「ひいっ!」


 声を掛けたら、驚いて飛び下がってしまう。その背中が鎧に当たり、一度ぐらりとよろめいた鎧は反動で少女に覆いかぶさろうとした。


「あ、ご、ごめんなさ」

「ちっ、馬鹿が」


 罵り声と共に、鎧に飛び蹴りをかます。

 倒れ込む前に、どうにか着地点をずらすことができた。

 少女が信じられないと言う顔で固まっている。


「あの、お、おじょうさま」

「痛っ。どれだけ運動してないんだ、この娘。瞬発力もねえし……あ?」


 自分に言っているのか、少女に言っているのか、どちらもだろう。


「わ、私のせいでお怪我を……え、えぐっ。ごめんなさい、ごめんなさいいぃぃ」


 この世の終わりという感じで泣きわめく少女。

 泣きなれているし、謝りなれている。自分を押しつぶそうとする鎧に対して、避ける前に謝ろうとするのは一体どういうことなのだろう。

 ステラはため息をついて、痛む足で立ち上がる。


「貴方、私の命令が聞けるかしら」

「は、はいぃぃ。でも、あの、いのちだけは、たすけてくださいぃ」

「泣きやめ」

「え?」


 それだけ言って、背を向ける。


「次泣いたら、殴る。その次泣いたら、蹴る。今まではどうだったか知らないけれど、これからは泣くことを許さないわ」

「あ、あのぉ、おしおきは」

「そんな暇はないの」


 もう何も言わず、ステラは階段を降りていく。

 必死で嗚咽を我慢している音が遠ざかる。


(ありあもあの小娘も、仕置って言ってたな……つまり、この姫様は日常的に女中を嬲って愉しんでたわけか)


 悪趣味な人間に取りついてしまった。今から替えはきかないものだろうか。

 しかし幸運もある。金持ちなことだ。地獄の沙汰も金次第というくらいだ。六道全ては金に支配され、金で便宜を図れる。金を持たない人間は虐げられるのみだ。しばしば虐げる側に回った厚木柊二郎である。そのことは痛いほど知っている。

 柊二郎もステラを指させるような立派な人間ではない。

 立派な人間ではないが、おそらく自分の人間性に対する理解度に差がある。屑にも種類があって、その分類の一つに、自覚ある屑と自分を立派な人間だと思い込んでいる屑に分けるものがある。

 柊二郎は自身のあくどさを自覚し、人に恨まれていることを前提に生きてきた。故に人を信じないし、寝る時すら刀を手放さずにいた。

 その感覚が抜けず、帯刀していない今の状況が落ち着かない。


「刀を探すか」


 恐れるメイドを無理に呼び止め、武器庫の場所を聞き出した。

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悪鬼同心は悪役令嬢に転生する 大魔王ダリア @mithuki223

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