第12話

「いらっしゃいませ」

 トーニャは慣れない挨拶を口にする。

 安全の確保された首都圏。ここはその一角にあるコンビニだ。

 あの後、救助されたトーニャらは、一度NAWに保護された。NAWの幹部は一人一人から詳細を聞き取り、トーニャたち自身も初めて全容を知った。

(与一が死んだ。クニ子も。クニ夫も)

 三人の中学生は、今もNAWの保護下にある。他のどこよりも安全な場所と言ってもよいだろう。

 加えて、トーニャらのもたらした仮説――時空を超えた並行世界重なり仮説――も、驚きと賞賛をもって迎えられた。時間がかかるだろうが、もしかしたらこの世界に流れ込んでしまった人たちをもとの世界に戻す足掛かりになるかもしれない。

 トーニャも、中学生たちの一時的な保護者としてNAWにとどまることを提案されたが、彼女はこれを固辞した。

 他の大人たちのように命を懸けたわけでもなく、中学生たちと深いつながりがあるわけでもない。彼らに誇れないような生き方をこれまでずっとしてきたのだ。

(登紀子、あんたが生き残ればよかった。そして、あんたに、あんたの過去を救わせてやりたかった)

 与一は、中学生時代の彼に「俺みたいになるな」と言ったという。クニ子とクニ夫はショウに「あんたさえ幸せならいい」と言ったという。


「じゃ、またね」

 NAWを離れるとき、トーニャは中学生らに手を振った。すでに防護服もガスマスクも身に付けていない。ラフなTシャツとジーパン姿だ。

「また連絡して」

 登紀子が言うので、トーニャは「もちろん」と笑顔を見せた。流れるように嘘をつけるのも、大人だからだ。

 そのまま背を向けて歩き出す。

 一度も振り返らないつもりだったが、トーニャは足を止めた。

(登紀子に、何か伝えてあげなきゃ。彼らの中で、彼女だけ何も受け取ってない。偽物の私と、ほんの束の間おしゃべりしただけ)

 ためらいながら、振り返る。

「登紀子」

 呼びかけられるのが分かっていたように、登紀子が「ええ」と返す。

「あんたはね、なんていうか――」

 うまい言葉が見つからない。頭を掻きむしった挙句、

「――立派だったよ」

 登紀子は微笑んだ。

「ありがとう。知ってる」

 ほんの少しだけすっきりとした気分で、トーニャは歩き去った。


「ねえお父さん、なんでここには八百円玉が無いの?」

 少女の声で我に返る。

 昼過ぎのコンビニ。レジの風景。

 父親と思しき男の腕を引き、お菓子の棚を見て回っている少女が、ふと口にしたのだ。

「そうだね、ここには八百円玉が無いね」

 彼らの言う「ここ」が、このコンビニを指しているわけではないことをトーニャは知っていた。

 見知らぬ世界で生きていかなければならない人がたくさんいる。

(それは、私自分も含めて)

 ここで彼らに、「私も八百円玉のある世界から来た」と伝えられたら、彼らはどれだけ心強いだろう。

(でも、自分にそれができないことを私は知ってる)

 ポケットの中で携帯電話が震える。大方、中学生三人組の誰かがメールでも寄越したに違いない。返事をしていないのに、一日に数件、必ず連絡が来る。

(返事をすべきかもしれない。私が引け目を感じているだけで、彼らには何も責任がないのだから――)

 先ほどの親子がレジへとやって来た。娘が手に持ったお菓子を差し出す。

「お預かりしますね」

(やっぱり、返事をしよう)

 金額を入力しながら、トーニャは笑顔で

(自分にできることを――)

声を出した。

「三百三十円になります。それと――五百円玉はご存知ですか?」

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ヒゴウ――或いは非合理に子どもたちを救った話 葉島航 @hajima

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