12-8 どいつもこいつも
研究科長は続けた。
「もしそれが本当なのであれば、君はもう一度研究科に戻って来て研究者を目指してみてはどうだろう?」
「え?」
研究科長からの思わぬ提案にアキトは目を丸くした。
「君の提出した論文が学会誌での掲載が決まったそうじゃないか。
アキトが東帝大学を辞める前に提出した論文のことのようだ。
学会からその旨を伝えるメールが届いていたのだろうが、既に学界に対して何の未練もなかったアキトはこの時初めてそのことを知ったのだった。
「え、それは本当ですか?」
「何? 君はきちんとメールのチェックもしていないのかね?」
驚くアキトに研究科長は呆れ顔でそう言った。
「すみません。民宿での仕事が忙しくて、メールのチェックをする暇も最近はないもので……」
「民宿ねぇ。何とも勿体ない人生の振り方だ」
アキトの言い訳に研究科長が顔をしかめた。
「オカダ教授の業績の多くが君の業績を横取りしたものだ。君程の才能がある若者が学界を去ってしまうのは何とも残念だ。今じゃ田舎で民宿の手伝いなどに落ちぶれるとは。せっかく本学の大学院にまで進学しておきながら勿体ない」
アキトの胸に沸々と怒りが込み上げて来た。
龍山荘で働き始めたことを「αともあろうアキトがそんな最底辺の職業に就くなんて」と研究科長は憐れんでいる。
田舎の民宿での仕事を何故そんなに見下されねばならないのか。
運命の番を失っても必死に一人で龍山荘を切り盛りして来たアケミに対しても随分な侮辱だ。
それに、ケンシロウを「Ωの男娼」などといかにも侮蔑的に表現し、そんな「男娼と番を結ばされた」アキトを一様に憐れむような眼差しを向けるこの会議室に集まった面々のΩへに対する蔑みが不快でたまらない。
あまりにも相手がΩというだけで人の人生をバカにしている。
「すみません。この件に関しては、僕は一切関わりたくありません。新宿二丁目でマナベ・ケンシロウと番になったことに何の後悔もないですし、この研究科に戻って来るつもりもないです。僕はこれからも龍山荘で働くつもりです。失礼します」
アキトはそう
結局、どいつもこいつもオカダと本質は何も変わらない。
最高学府の教授だか何だか知らないが、この同じ社会で生きている同じ人間であるΩについてですら、まともに知ろうともしていない。
αであることを鼻にかけ、α以外の第二の性を持つ人々を見下し、偏狭な価値観に凝り固まって生きているのだ。
あんなに自分の全てを懸けて論文を執筆していたが、いざ学会誌に掲載が決まったと知らされてもアキトは最早冷めた感情しか抱かなかった。
ケンシロウはアキトがいずれ東帝大学に戻るのではないかと危惧していたが、心配ご無用だ。二度とこんな研究科に戻って来るものか。
アキトは怒りに肩を震わせながら、大学を後にした。
そして、その足で新宿二丁目に向かい、バー
この二丁目、そしてMonster Boyだけは、この息詰まるような都会の喧噪において唯一、アキトがホッと出来る場所であることをひしひしと感じられた。
特にMonster Boyのママ・エツコに再会した瞬間、アキトは思わず涙が零れそうになった。
数か月ぶりに再会したエツコは、アキトの来訪を手放しで喜んだ。
「まあ! どうしたの、いきなり? 来るなら来るって言ってよ」
エツコは弾んだ声でアキトを出迎えた。
「ごめんね、エツコママ。急な用事が出来てさ」
アキトは何だかエツコが本当の母親のように思えて来て、口調も少し甘えた調子になる。
「何飲む?」
そんなアキトにエツコはニコニコしながらメニューを差し出した。
「そうだな。今夜は最終のバスで帰りたいし、アルコールはやめておくよ。とりあえず、冷たいお茶がいいな」
「まあ、バーに来ながらお酒飲まないなんて健全じゃない?」
エツコはアキトを
「でも、少しでも早くケンちゃんに会いたいのね」
アキトの顔がぽっと赤く染まった。
「それもあるけど、民宿の仕事が忙しくて。早く帰って仕事しないと、他の二人に負担をかけちゃうから」
恥ずかしくてわざと「ケンシロウに会いたいから」以外の理由をメインに据えてしまう。
「そうか。今夏休みシーズンですものね。わたしも少し暇が出たらアキちゃんたちの民宿行ってみようかしら」
「マジで? 来て来て! いつでも待ってる」
エツコが龍山荘に来る。それを考えただけですっかり嬉しくなってしまったアキトの声がいつになく弾んだ。
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