3-7 怪しまれぬように
実家のタワーマンションに辿り着くと、アキトは昨夜ケンシロウの濃厚なフェロモンの香りが身体につき、両親に詰問されたことを思い出した。
昨夜の二の舞になるような心配を顧みることもなくケンシロウの元を訪れてしまったが、このままではまた家族に不審に思われてしまう。
だが、どこで匂いを落とせばいいのだろう。
シャワーを浴びることの出来る場所など、自宅を置いて他にはないのだ。
ここはもう、匂いを勘付かれるのを承知で家に入るしかない。何かをツッコまれる前に、シャワーを浴びてしまおう。
アキトはビクビクしながら、エントランスに入った。
すると、このマンションの住人がアキトと入れ違いにエントランスから外へと出て行った。
フェロモンの香りに不審な顔をされるのではとビクついたが、その人は何事もなかったかのように外に出て行った。
アキトはほっと一息をつくと、エレベーターで自宅のある階へと向かった。家の扉を恐る恐る開けて中に入る。
今の時間帯であれば、幸いサダオは仕事中だ。サチは買い物にでも行っているかもしれない。
そう期待したのだが、運悪くサチは在宅だった。
「あら、アキト。おかえりなさい」
サチは玄関まで出て来て、アキトを出迎えた。
アキトはくっと身構えた。
だが、サチはそれ以上何かを言うでもなく、部屋の奥へと消えて行った。
アキトは呆気に取られた。昨晩は部屋に入るや否や大騒ぎになったのに、どういうことだろう。
アキトはキッチンで夕食の支度を進めているサチに恐る恐る話しかけた。
「あ、あの、母さん……?」
「何よ? 今、お母さんは忙しいのよ。急ぎでないなら、後にしてくれない?」
忙しく立ち働きながらサチはアキトを追い払った。どうやら、本当に何も感じていないらしい。
アキトは自室に引き上げて、どういうことなのか思案した。
そういえば、今日ケンシロウの家を訪れた時、昨晩のような性的衝動にアキトは一度も襲われることはなかった。
ケンシロウに迫られ、キスをされた時は流石に下半身がムクムクと反応したが、それだけで終わった。
本来、Ωの発情期のフェロモンに当てられたαは自分では抑えがたい性的衝動に襲われるものだ。それが運命の番ともなれば尚更だ。
そういえば、今日はケンシロウから昨晩ほどの強烈なフェロモンの香りは感じなかった。
勿論、ほんのりとは甘い香りを漂わせてはいた。
だが、ケンシロウの様子からしても冷静沈着で、むしろアキトよりも理性的に話をしていた気がする。
発情期のΩならば、あんなに理性的な話など出来ないはずだ。
ケンシロウとの番関係が成立したためだろうか?
いや。番が成立すれば、番となったαに対してのみΩは発情期を発するようになる。
その時に発せられるフェロモンに当てられていれば、番であるアキトが何も反応せずに帰って来ることなど有り得ぬはず。
ケンシロウの発情期は終わってしまったのだろうか?
だが、通常Ωの発情期は月に一回一週間は続くものだ。まだこの前会ってから週の半分が過ぎたかどうかだ。
あんなに激しくフェロモンを放出していたケンシロウが、数日のうちにすっかり元通りになることがあるだろうか。
何重にも疑問がアキトの頭に浮かんで来る。
だが、とりあえずはケンシロウをこの前のように前後不覚になって襲うこともなければ、子どもを妊娠させてしまうような失態も演じなかった。家族にも怪しまれていない。
運命の番であるらしいケンシロウに会いに行っておきながら、これ程まで何もないのだ。
この事実にもっと安堵を覚えるべきではないだろうか。アキトは細かいことは気にしないことにした。
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