3-6 「幸せ」な人生とは?

 何も答えられないアキトにケンシロウが迫って来た。

「答えられない? その理由、オレはわかるよ」

「な、何だっていうんだよ?」

 何とかΩのケンシロウに対して優位性を保ちたいアキトは震える声を抑え、睨みを利かせてみせるが、そんなものが通じないのはとうにわかっていたことだった。

 ケンシロウはジリジリとアキトに迫り、迫られた分、アキトは後退あとずさる。

 

 ケンシロウは不敵な笑みを浮かべながら言葉でもアキトを追い詰め続けた。

「アキトは既に、オレとの運命の番の呪縛に囚われているんだよ。アキトが理性でどう思おうが、心の中ではオレをどうしても手放したくなくなってる。オレを自分のものにしたくて仕方がない。違う?」

「ち、違う!」

「ほんと、素直じゃないんだね」

 ケンシロウはとうとうアキトを壁際まで追い詰めると、それ以上逃げ場を失った彼にそっと口付けをした。

 柔らかい唇がアキトの唇に直接当たる。閉じたアキトの両唇をこじ開け、ケンシロウの舌がアキトの口の中に侵入して来た。

 思わず口をギュッと噛み締めたアキトの歯を、ケンシロウが丁寧に舐め回す。


 固く食いしばった歯に舌をあてがわれ、アキトは不覚にも小さな喘ぎ声を漏らした。

 ケンシロウはただ悪戯に歯を舐め回しているのではなかった。アキトの唇の裏の粘膜を優しく撫でるように舌を這わせるのだ。

 ケンシロウの舌遣いは絶妙にアキトの性感帯を刺激して来た。

 自分は唇でさえ感じてしまうんだ。

 そう思うとアキトは恥ずかしくてたまらなくなった。

 だが、ケンシロウは容赦しない。アキトの口の中をこれでもかと多彩な舌遣いで責めて来る。

 図らずしも口の中で感じてしまい、思わずアキトの口が開く。

 すると、すかさずアキトの舌にケンシロウの舌が絡みついた。


 理性では運命の番の呪縛に逆らえないなんて、どうしたってアキトは認めたくなかった。

 だが、今こうして舌を夢中で絡ませているケンシロウを前に、アキトはその糸に完全に絡めとられ、身動きが取れなくなっていたのだった。


「ねぇ、アキト。お前はもうすぐオレのものになる。どんなに抵抗したって無駄だよ。アキトが抵抗すればするほど、オレと運命の番になった事実はアキトを雁字搦めに縛り上げちゃう。それならばいっそのこと、もう全てを素直に受け入れてみれば? 楽になるよ」

 ケンシロウがそっとアキトの耳元で囁いた。


「い、嫌だ。無理だ。俺にはそんなこと出来るはずがない。俺はαだ。Ωのお前とは違う。運命の番なんて、俺は自分の理性で何とでもしてみせる!」

 アキトは声を振り絞ってそう叫ぶと、ケンシロウを押しのけてアパートから駆け出した。

 一瞬、ケンシロウとのキスを途中で中断して逃げ出してしまったことに心残りを覚えた。

 しかし、そんなものにかまけている場合ではなかった。


 運命の番の呪縛。何としても逃れなければ。

 絶対にケンシロウが運命の番の相手だなんて認めない。もし本当にそうだとしても、抗ってやる。俺は俺の理想とする人生を実現させなければならないのだ。


 アキトは何度も自分にそう言い訊かせた。

 

 だが、アキトはそこで気が付いてしまった。

 アキトは何故研究者になりたいのか、その答えをはっきりと導き出すことが出来なないことに。

 そして何故、αとの結婚にそこまでこだわるのかという問いにも明確な返答が出来ないことに。


 確かに、「生粋のα」としてのプライドはある。しかし、そのプライド以外にα同士の結婚を望む理由などない。

 いや、結婚だけではない。


 αとしての理想の人生を最後まで貫徹したとして、自分には何が残るのだろう? 果たしてそれが「幸せ」なのか? そもそも「幸せ」とは何なのか?

 もし、理想的な生き方を実現させたとして、サダオやサチから認められたとして、自分の人生はどうなる?

 サダオもサチも自分より年長者だ。いずれは自分一人がこの世に残される。

 そうなった時に自分に残されるのはただの虚しさしかないのではないか?


 頭の中を答えの出ない問いがグルグル駆け巡り、もう気も狂わんばかりになりながら、アキトは電車の手すりにぐったりと頭をもたげているのだった。

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