3-5 運命など認めない
「何? ショックを受けた?」
ケンシロウがそんなアキトの顔を覗き込んでケタケタ無邪気な笑い声を上げた。
「い、いや……」
「そんなもんだよ、Ωの人生なんて。Ωに生まれたってだけで、家族からは疎まれて、高校に行くお金だって出しては貰えない。発情期でどんなに苦しくても病院にも行けないから抑制剤ももらえない。そんな状態で高校卒業するなんて無理だよ」
「……わ、悪い。変な事訊いたな」
アキトはすっかり罪悪感に見舞われてしまった。
学費も出して貰えず、病院にも行けない世界など、アキトは想像したこともなかった。
Ωなどただの社会の最底辺の階層だと思っていたのだが、その裏にはアキトが想像も出来ないような環境があるのかもしれない。
そんなことは二十七歳になるまで勉学に勤しんで来ても、一度も知ることのなかった知識だ。
「でもアキト。オレはもう売り専ボーイなんかやめるよ。だって、これからはオレ、アキトの番として生きるんだ。お前と一緒に人並みの人生を送りたい。アキトなら頭もいいし、ちゃんとした職業にも就けるだろ? 将来は大学教授か? そんなアキトの番としてなら、オレももう少しまともな仕事にありつけそうだ」
アキトはブルッと震えた。
やっぱりこいつはアキトと一生添い遂げるつもりだ。そのためにアキトに近付いて番になったのだ。
アキトは今更ながら、ケンシロウの元を訪れたことを後悔していた。
「やめてくれ。俺はお前と一緒に生きていくことなんか出来ない。俺はαの女と結婚する。それ以外の道など考えていない」
アキトはケンシロウを拒絶したが、彼には全く通用しないどころか、小悪魔な笑みを顔いっぱいに浮かべた。
「へぇ。そんなこと言っちゃっていいんだ」
「は? そんなの俺の自由だろ」
「自由だよ。好きにすればいい。でも、そうなったらオレは全てを世間に向けて告発してやるね。番になったはずのマナベ・ケンシロウを東帝大学の大学院生であるニカイドウ・アキトが捨てて、一人のΩの人生を滅茶苦茶にしたってね」
このΩ、俺を脅す気か?
さすがにアキトはこのケンシロウの発言を許容は出来なかった。思わず声に怒気が混ざる。
「お前!」
しかし、いくらアキトが怒ろうとも、ケンシロウは余裕の表情を崩さない。
「ニカイドウ・アキトどうする? お前の家にはΩの差別反対を謳う人権団体から大量の抗議の手紙が舞い込むだろうね。大学教授になる夢だって……」
「いい加減にしろ!」
続くケンシロウからの脅しに、アキトはとうとう耐えきれずに怒鳴った。
「大体、お前、何で首輪を外したりしたんだ? クルージングスポットでは首輪着用は義務のはずだろ?」
ケンシロウは悪びれることもなく、更にアキトを混乱に陥れる事実を告げた。
「だって、仕方ないじゃん。そうでもしなかったら、オレ、運命の番であるお前を取り逃がすかもしれなかったし」
「う、運命の番?」
アキトの心臓がバクバク音を立てて鳴り始めた。
運命の番。このケンシロウが?
一番避けたかった事態がここに起こっている。
運命の番になったら最後、いくらαであってもその番の相手となるΩに対する誘引力から逃れるのは並大抵のことではない。
その力を人は「運命の呪縛」と呼び、この社会の頂点に君臨する「生粋のα」とてその呪縛に絡めとられたら最後、逃げることなど出来ないのだ。
ケンシロウは楽し気に続けた。
「そう。感じなかったのか? あんなに強く引き合う感覚をオレは初めて覚えたよ。どんなαと一緒に寝ても、あんなに強く惹かれることはなかった」
「そ、そんな……。俺は、俺は……」
すっかり顔面蒼白になったアキトをケンシロウは優しく抱き締めた。
「大丈夫だよ、アキト。今の世の中はΩに対する見方もだいぶ変わった。
「わかったようなことを言うなよ!」
アキトはケンシロウを振り払った。
「俺は認めねえ。ケンシロウと運命の番だと? そんなもの、関係ねえ。俺はαとしての誇りがあるんだ。Ωと結婚なんて冗談じゃない」
思わず感情的になり、Ωに対する侮蔑的な本心が
「まぁ、そこまで思うのなら、抵抗してみればいいよ。運命の番の呪縛から逃れられるかどうか」
「ああ、抵抗してやるよ。いくらでもな」
アキトはムキになってそう答えた。
ケンシロウは苛立つアキトの様子をさも楽しそうに眺めていたが、
「ところで、アキトは今日、ここまで何をしに来たの? そんなにαとの結婚にこだわるなら、なぜオレがこっそりお前の鞄に入れた連絡先までわざわざ来たんだよ」
と尋ねた。
ケンシロウの鋭い問いにアキトは口ごもってしまった。
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