3-2 「生粋のα」としての劣等感

 アキトは既に高校時代に両親の期待を裏切っている。

 医師である父サダオの後継ぎのため、医学部進学を目指して本来ならば理系に進むはずだった。

 それが、理数系の科目の成績が思うように伸びず、進路選択で文系に進むことしか出来なかったのだ。

 サダオは息子の不甲斐なさに落胆の色を隠さなかった。

 幼い頃からアキトに英才教育を施して来た母サチもこの結果には相当ショックを受けていた。

 まるで「生粋のαアルファ」として落ちこぼれであるかのように見られ、アキトはどんどん家の中での居場所を失っていった。


 父サダオの名に恥じぬためにも、母サチの期待に応えるためにも、アキトは医師に負けぬ社会的地位を手に入れねばならなかった。

 国内で最高学府とされる東帝とうてい大学への合格が、医学部進学を逃したアキトにとって最低限実現しなければならない課題であるように思われた。

 だから、アキトは高校時代、脇目も振らず勉強に明け暮れた。


 その甲斐あってか、アキトは東帝大学からの合格通知を手にした。

 アキトはこれでやっと両親に認めて貰えると安堵し、二人に受け取ったばかりの合格通知を見せた。

 だが、サダオは表情一つ変えず、彼にこう言い放ったのだった。

「いくら東帝大学に入ったからといって、将来、まともな仕事に就くことが出来なければ何の意味もない。これからが勝負だ。気を抜くんじゃないぞ」


 東帝大学に入学しても、満足しては貰えなかった。

 「生粋のα」として頭脳明晰で優秀であることを更に示さなければ、ニカイドウ家の人間として失格の烙印を押されてしまう。

 だからアキトは大学に入学した時から、将来は大学教授を目指すと心に決めたのだった。

 学部時代はただひたすらに勉強し、成績はトップであり表彰も受けた。


 しかし、いくら「勉強」が出来ても、「研究」が出来るかどうかはまた別問題だ。

 アキトは勉強は得意だった。

 与えられた課題をこなし、本を読み、その内容を完璧に暗記した。


 だが、研究はそれで終わりではない。勉強で蓄えた知識を超えた新しい理論を創り出していかなければならない。

 それがアキトにはどうしても苦手だった。

 言われたことならできる。一方で、自分で判断し、新たなものを生み出すことは滅法苦手だった。

 結局、アキトは大学の卒業論文でも修士課程での修士論文でも最優秀賞を逃した。


 それでも博士課程に進んだのならば、少しは変わるかもしれない。

 そんないちの望みをかけて今、ここにいるのだ。

 だから何を研究したいとか、何のために研究したいとか、そういう興味や意欲が人より弱い。

 研究書を読み込むだけ読み込んでも、そこから何も新たな考えが浮かばない。

 そもそも研究書を読むことに何の楽しみもなく、ただの苦行の連続だ。

 何のために今、こうして研究室に籠っているのか、たまにわからなくなる時があるのだった。


 もう年齢も二十七歳だ。

 周囲の友人たちは一人前に仕事をし、家庭を築いている。アキトが付き合いのある友人は全員αなだけあり、全員が一流企業や医師、弁護士などで成功を収めている。

 それに対して自分はどうだ。いまだに学生の身分で研究室に籠り、楽しくもない「研究」に勤しんでいる。

 その差を考えた時、アキトはてつもない劣等感に苛まれる。自分は「生粋のα」なのに。


 その時アキトは何故かふと新宿二丁目のクルージングスポットで番となったあのΩの姿を思い出したのだった。

 やつは愛らしい顔をして、随分魅力的なたいをしていた。

 もう一度、あいつと抱き合ってみたい。こんな家族とのしがらみや、嫌いなオカダや研究のことなど全てを忘れて。

 でも、もう彼と再会することはない。何処の誰かもわからないのに。


 アキトは大きくため息をつくと、今日はもう帰ろうと席を立った。

 と、その時だ。

 手に取った鞄のポケットに、何やら見慣れぬ紙が差し込まれていることにアキトは気が付いた。

「ん? これは何だ?」

 アキトはその紙を取り出してみた。

 するとそこには「マナベ・ケンシロウ」という名前と、彼の住所らしきものが走り書きされていたのだった。


「これは……」

 アキトは暫く考えた。

 こんな紙をこっそりとアキトの鞄に仕込むような人間が何処にいるのだろう。今や、研究室と家との往復で、誰とも関わりなど持ってはいないのに。

 しかもこんな見ず知らずのアキトに自分の名前と住所を教えるなんて、あまりにも不可解だ。


 とその時、アキトの頭にあのクルージングスポットで出会ったΩの顔がよぎった。

「もしや、あいつ……」

 アキトの胸がドキドキと音を立てて鼓動し始めた。

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