1-5 クルージングスポット

 そこでやっと冷静になったアキトはサッと血の気が引いた。

 Ωのオカマごときに煽られるまま、思わずΩ嫌いの本音が口をついて出てしまったのだった。

 しかも、オカダや研究室の仲間がいる前で。


「ニカイドウ君!」

 オカダがアキトをたしなめるように語気を強めた。

「すみません。先においとまします」

 いたたまれなくなったアキトは急いで荷物をまとめ、バーMonster Boyから逃げ出した。


 エレベーターを待つ時間も惜しくて、階段を駆け下りる。

 クソッ垂れが。

 何でこの「生粋のα」たる自分が、Ω相手にこんな恥を晒さないとならないのだ。

 アキトは悔しさに歯を食いしばった。


 この件でオカダから後に呼び出しを食らうことは確実だろう。

 アキトの研究業績はそもそも全くといっていい程かんばしくない。

 また、オカダのお気に入りの学生という訳でもない。

 もしこの件で完全にオカダに見切りをつけられたら……。

 二十七歳になるまで積み上げて来た研究者になるための努力は水の泡だ。

 「生粋のα」の癖に研究者になれずに落ちぶれるなど、とんだ恥さらしだ。


 あれもこれもΩのせいだ。

 αに寄生することばかり考えて、発情期には理性も何もなく色に狂う忌まわしい存在。

 こいつらのせいで俺は……。

 アキトは行き場のない怒りを「Ω」という存在そのものにぶつけるのだった。


 Monster Boyが入居する雑居ビルを飛び出すと、外はいつの間にか本格的な雨になっていた。

 こういう時に限って傘を持って来ていない。

 新宿二丁目のような薄汚い街で雨にびしょ濡れになって歩く姿を晒すなど、αとしてのプライドが許さない。

 だが、今は少しでもMonster Boyから離れた場所に行きたかった。

 アキトは雨の中を走った。


 だが、雨はやむどころか更に激しさを増して来る。

 これは敵わない。

 アキトは仕方なく、近くのとある建物の軒先で雨宿りをすることにした。


 アキトが屋根の下に入るや、雨足は更に激しさを増した。

 雨は暫くやみそうになかった。


 いつになったらここから出られるのだろう。こんな街など一分一秒でも早く脱出したいのに。


 その時だ。

 アキトは雨がアスファルトを濡らすこんがりとした匂いと共に、独特の甘ったるいあのΩが発情期に放つフェロモンの香りが特に強く漂って来ることに気が付いた。

 二丁目全体にΩのフェロモンの香りが満ちているとはいえ、この場所はどういう訳か強く感じる。

 匂いの出どころを探ってみると、どうやら雨宿りをしている建物から漂って来ているようだった。


 この建物は一体?

 アキトが不審に思って建物の周囲に目を配っていると、入口の扉に「Gentlemanジェントルマン」という文字が刻まれていることに気が付いた。

 その文字を見つけた瞬間、アキトは突如として襲った寒気に身を震わせた。


 Gentleman。

 新宿二丁目の真ん中に建つクルージングスポットと呼ばれる場所だ。

 クルージングスポットとはカップルが成立した後に入るラブホテルとは違い、不特定多数のαとΩが入り乱れ、性行為を行うための施設だ。

 誰彼構わず番を得ようとするΩとひたすら性的快感を求めるαが集う闇の空間が中には広がっている。

 ベッドが一列に並び、その上で全裸になったΩが尻を突き出し、手を出すαを待ち受ける。

 一方、αは施設内を徘徊しながら、Ωたちを物色して回るのだ。


 アキトが新宿二丁目の中でも最も忌み嫌うべきクルージングスポットの前に図らずしも立っているのだ。

 アキトはビクッと身体を震わせ、雨の中を外に飛び出そうとした。


 その時だ。

 これまでにない強烈な甘いフェロモンの香りがふわっとアキトを包み込んだ。鼻を突き刺すのではないかと思う程、その香りは鋭く強い。

 次の瞬間、アキトの腕を誰かがつかんでいた。

「おい!」

 アキトは叫んだが、その誰かは彼の腕を離すことなく、Gentlemanの中へと飛び込んで行ったのだった。

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