1-3 バーMonster Boy

 金曜日の夜。

 アキトはオカダと彼の研究室に所属する学生ら数人と共に、新宿二丁目へと繰り出した。

 東帝大学に進学する、更にその大学院まで進級する学生はほとんどαと決まっているので、この集まりに参加している者たちは揃ってαばかりだ。


 オカダを含め、全員がこれから二丁目で行なわれる「飲み会」に顔を上気させている。

 アキトただ一人を除いて。


 ああ、こいつらは全員「飲み会」を口実に二丁目に繰り出し、Ωを相手に一晩楽しむつもりだなとアキトは彼らの表情を見ながら考えた。

 αともあろう者が、こんな低俗な遊びに手を染めるなんて。

 しかも、学問を志すはずの人間が、だ。

 学者たるもの、もっと高尚な存在であるべきなのに。

 緩み切ったオカダや学生たちの表情を見るにつけ、アキトの不快感は増していくのだった。


 新宿中心部の雑踏を抜けて歩を進めていくと、次第に辺りの街灯は減っていく。

 そして一向は、新宿という国内でも有数の繁華街にあって何処か薄暗い印象を受ける一画に辿り着いた。

 ここがかの新宿二丁目だ。


 その途端、アキトの嗅覚に妙に鼻につく甘ったるい香りが漂って来たのだった。

 アキトは顔をしかめた。

 これだ。

 これこそΩたちの放つフェロモンの香りだ。


「来たね、来たねぇ」

「ああ、いい香りだ」

「早く行きましょう! もう我慢できません」

 皆は更に顔をだらしなく緩ませて声が一段と弾んでいる。

 何もかもが見苦しい。

 Ωの存在も、そんなΩに鼻の下を伸ばしているαとしての矜持を忘れたかのようなオカダや学生たちも、そしてこの薄暗く薄汚い二丁目という街自体も。


 二丁目に足を踏み入れると、あちこちに怪しいバーや風俗店のどぎつい看板の光が目に飛び込んで来る。

 その中で一棟の雑居ビルに入居するバーにオカダは学生たちを案内した。

 二丁目で遊ぶαたちの多くは、このようなバーで酒を飲みながら、美しく可愛いΩに目をつけ、ラブホテルに誘うのが一般的だ。


 オカダは慣れた手つきで雑居ビルの中に歩いて行き、エレベーターのボタンを押した。

 古びた雑居ビルの今にも壊れそうな小さなエレベーターに全員でぎゅうぎゅう詰めになって乗り込む。

 男ばかりでエレベーターに押し込まれるのはただでさえむさ苦しい。

 その上、これから出会うであろう美青年のΩたちを期待してか、全員が興奮に顔を上気させている。

 エレベーターの中はその蒸し返すような熱気に息詰まりそうだった。


 やっとエレベーターが目的階に到着し、アキトは息詰まるような暑苦しさから解放された。

 下りた先にあったのは何の変哲もない黒い扉だった。

 その扉の前に「Monsterモンスター Boyボーイ」というバーの名前が描かれた小さな看板がかかっている。

 その扉を開けた瞬間、中からとりわけキツイΩのフェロモンの香りがブワッとアキトを包み込んだ。

 これはこれでエレベーターの中とは違って意味で息詰まる。


 それと同時にこのバーを切り盛りするママが、甘ったるい声で一向を迎えた。

「いらっしゃいませぇ~」

 カウンターの奥から、厚化粧を施し、綺麗に着飾ったMonster Boyのママが一向に怪しげな笑顔を送っている。


 二丁目でバーを経営する「ママ」と呼ばれる存在は、女装したΩの男だ。

 年を食うまでαと番になれなかったり、αに番を解消された者がそのほとんどを占める。

 彼らは薬の副作用で醜く老いた自分の姿を隠すため、厚化粧で素顔を隠し、女装をしてカウンターに立っているのだ。


 一向はすっかり上機嫌でズカズカと店の中に踏み込んでいく。

 口々に愛想よくママに挨拶をしながら。


 一方のアキトはキツイ香りとこのバーに集うΩたちへの嫌悪感から吐き気を催しそうになるのを堪えながら、バーの中に足を踏み入れた。

 それでもここは理性あるαとして紳士に振舞わなくてはならない。

 アキトは出来るだけ穏やかな笑顔を作りながら、ママに挨拶をした。

「こんばんは。お世話になります」

「わかったから早く座んなさいよ」

 ママはそんなアキトに一瞥をくれただけで、愛想一つない冷たい返答を返した。


 Ωのオカマ野郎が偉そうに。

 アキトは心の中でそんなママに対する嫌悪感を募らせたが、ここは理性ある「生粋のα」らしく振舞わなくてはならない。

 喉元まで出かかった悪態を飲み込み、紳士的な微笑を絶やさないように気を付けるのだった。

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