第42話 イザベル

 イザベルは、普段ちょっと釣り目な黒い瞳を閉じ、まるで眠っているような穏やかな表情を浮かべていた。肩を揺すったらいつものように「もう少し寝かせて」とか言いそうだ。いつもしっかりしているイザベルは、意外と朝が弱いことをあたしは知っている。


『私はルイーゼをリーダーに推すわ。この子はバカだけど、愚かではないもの。それに、率先して行動するのは、いつもルイーゼだったわ。だから、私はルイーゼがリーダーになるべきだと思う。そもそもこの子が冒険者になりたいって言い出したんだもの』


 イザベルは一見冷たそうだけど、実はけっこうなお人好しだったりする。イザベルがいろいろ助けてくれたから、あたしはパーティのリーダーを続けられている。あたしが困ってる時に、さりげなく手を差し伸べてくれるのがイザベルだ。


 いつも黒い服を着ていたイザベル。どうもイザベルって黒い服が好きみたい。たしかに大人っぽいイザベルには黒い服も似合うけど、もっとかわいい服も似合うと思う。でも、本人は「私にかわいいのは似合わない」って黒い服ばっかり着るのよね。イザベルはたしかに一見キレイ系だけど、十分かわいいのにもったいない。この服だって……。


『冒険者なんていつ死ぬか分からないんだから、ちゃんと死に装束で臨むべきよ』


 そう言って、今まで貯めたお小使いも成人のお祝い金もぜーんぶ使ってこのドレスを買ってたっけ……。みんなも反対したし、あたしも「黒いドレスなんて喪服みたいで縁起が悪い」って言ったんだけど、本人は頑なに譲らなかったなぁ……。


 それがまさかこんなことになるなんて……。


 イザベルの胸の中心やや左には、あたしの親指よりも太い穴が穿たれていた。バカなあたしでも知ってる。丁度心臓の位置だ。イザベルは心臓を撃たれて、それで―――。



 ◇



「ルイーゼ!」


 イザベルの横で座り込んでいたルイーゼが、突然立ち上がって踵を返して歩き始めたのをハルトくんが呼び止めます。


「なに?」


 ルイーゼの声は、普段の彼女を知っているのなら驚くほど平坦でした。


「何をするつもりですか?」


 ルイーゼが、まるで感情というものが抜け落ちてしまったような虚ろな表情で振り向きました。その目に光は無く、私たちを見ているようで、なにも映していないように見えました。まるで濁ったガラス玉のよう。


「殺すのよ」


 静かに呟かれたその言葉に、私はルイーゼの本気を感じました。


「ダ……」

「無意味です」


 私の言葉を遮って、ハルトくんがルイーゼの決意を冷たく切って捨てます。


「ッ!」


 ルイーゼの虚ろな顔に憤怒の表情が浮かび上がりました。


「あいつらは! イザベルを殺したのよ! 生かしておけないわ!」


 ルイーゼが抜きっぱなしだった剣を勢いよく向けた先には、薄暗い闇の中を蠢く者たちが見えます。イザベルを殺した男たちです。正直な話ですが、男たちを殺したいというルイーゼの気持ちも理解できます。私だって男たちを消してしまいたいほど怨めしいです。でも……。


「もう一度言います。無意味です。そんなことをしてもイザベルが生き返るわけではないのですから」

「そんなこと分かってるわよ! でも! あいつらが生きてることが我慢できないの!」

「イザベルなら、貴女が手を汚すことに反対するはずです」

「あーもう! ほんと、うるさいわね! 言われなくても分かってるわよ! でもムリ! ムリなの! アイツらが生きてるだけでムリなのよ!」


 ルイーゼがイヤイヤをするように首を横に振り、頭を乱暴に掻き毟ります。ルイーゼのキラキラと輝く金の髪が乱れ、ぐしゃぐしゃになった様は、まるで彼女の今の心のあり様を表しているかのようです。


「……これは罰なの? 最初から危ないのは分かってた。でも、勇者アンナに負けたくないって勝手に意識して、あたしたちなら大丈夫って調子に乗って……。これが勇者の力に溺れた罰なの?」

「ルイーゼ……」


 ルイーゼは、いつの間にか涙を流していました。ルイーゼの考えはいけません。直情的なルイーゼは、自分への罰として取り返しのつかないことをしかねない危険があります。


「ダメ…!」


 本当に口下手な自分が怨めしい。ルイーゼのせいではないと、ルイーゼが責任を感じることではないと、ただルイーゼの罪悪感を少しでも軽くしてあげたいだけなのに。私の口は上手く回らず空転ばかり。


「ルイーゼ、悲劇のヒロインぶるのは止めてください」

「ハルト、くん…!?」

「ちょ!?」


 ハルトの厳しい言葉に私もマルギットも驚いてしまいます。


「そうやってなにもかもを1人で背負い込むのは、その方が楽だからですか? 賊の討伐を言い出したのはルイーゼでしたね? それに責任を感じて罰を欲しているのは、楽になりたいからでしょう?」

「あた、あたしは……」

「私たちを見くびらないでください!」


 ハルトが吠えるように叫びます。ハルトがこんなに激しく感情を露わにするなんて滅多にあることではありません。それだけのことが起きたのだと、本当にイザベルが死んでしまったのだと改めて突き付けられる冷たい心地がしました。


「たしかに貴女の言い出したことですが、最終的に全員が賛成しました」


 ハルトの口調が柔らかいものに変わります。


「これは、私たち全員の責任でもあるのです。どうか私たちの責任を、罪を、悲しみを奪わないでください」

「ハルト、くん……」

「ハルト……」

「ハルハル……」


「……シ……ン……」


 皆が俯いて一瞬の静寂ができた瞬間に、微かに弱弱しい声が響きました。

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