第41話 海の向こうの

 白目を剥いたおじさんの体がグラリと傾いてドサリと倒れる。これで4人全員ね。ラインハルトに言われた通り、剣の横で優しく平打ちして、うっかり殺さないように気を付けたし、たぶん殺していないと思う。さすがのあたしも人を殺すのはまだちょっと怖い。例え、それが悪人でもね。


 でも、クルトの言う通りだったわね……まさかこんなことをする冒険者がほんとに居るなんて……。事前に注意されていなければ、勇者になってるあたしでも危なかったかもしれない。特に飛んできた矢を弾くのなんてギリギリだった。ほんとに危なかった。でもやり遂げた! 賊を討伐なんて、勇者アンナにもできなかったことをあたしはやり遂げた!


「ほぅ……」


 あたしは達成感と共にヤケドしそうなほど熱い息を吐き出した。この熱は勇者になった証だ。勇者になると、お腹の奥がポッと熱くなって、その熱が全身を駆け巡るように熱くなる。まるで熱に浮かされているみたい。でも、意識はぼんやりとするどころか、どこまでも冴え渡っている。今ならば、なんでもできてしまえそう。そのぐらい調子がいい。絶好調!


 あたしは、意味も無く叫び出して走り回りたいのを堪えて、私は仲間の方を振り向く。


 やったよ! あたし、やりきったよ!


「イヤァアアアアアアアアア!?」


 褒めてほしいと振り向くあたしの期待を切り裂くように悲鳴が木霊する。たぶん、リリーの声。普段大人しくか細い声で喋るリリーがこんな大きな悲鳴を……。なにか、とても良くないことが起こったのだと瞬時に分かった。あたしは急いで仲間の居る場所へと戻る。


 松明のオレンジ色に照らされた中、あたしの目に飛び込んできたのは、倒れたイザベルとクルト。そして、ヌラリとした濃い赤だった。錆びた鉄のような臭いを強く感じた。


「ゴバッ…!」


 仰向けに倒れたクルトが真っ黒な血の塊を吐き出す。血に汚れたクルトの顔は蝋のように真っ白だった。小さくピクピクと痙攣するクルトの胸からもトプトプと血が湧き出るように溢れ、地面に広がっていく。まるでクルトの命が次々と零れているように感じた。イヤだ。クルトが死んじゃう…!


 クルトの奥には、倒れているイザベルも見える。イザベルは気を失っているのか、ぐったりと倒れたまま動きが無い。あたしはとても嫌な予感を覚えた。


「まずはクルトさんを!」

「ヒール…!」


 ハルトの指示が飛び、あたしと同じで勇者になっていたリリーが、クルトにヒールを唱える。勇者の回復魔法はすごい強力だ。これでクルトは大丈夫なはず。


「ゲハッ…!」


 大丈夫だと思ったのに、クルトがまた血の塊を吐き出す。なんで!?


「これは…!?」

「なん、で…!?」


 ハルトもリリーも悲痛な声を上げる。どうして!? 勇者の回復魔法は、手足を失っても生えてくるほどとても強力だってクルトが言っていたのに! 生きてさえいれば、治せない怪我なんて無いってクルトが言っていたのに! なんで治らないのよ!? なにか間違ってるの!? いったい何を間違えてるって言うの!? なんでこんなことになってるの……ッ!?


「あっ…!」


 その時、あたしの頭の中で、なにかが繋がった感覚がした。そうよ! そもそもクルトが倒れている理由。クルトを傷付けた凶器。あの短い矢ってどこにいったの? もしかして、まだクルトの中にあるんじゃ……。


「どいて!」

「きゃっ!?」


 あたしはリリーを強引に押し退けると、クルトの胸へと手を伸ばす。血で汚れた服を掻き分けて、服に空いた穴から撃たれた場所に検討をつけて手で触って確認する。


「やっぱり…!」


 あたしの手には硬く冷たい感触が返ってくる。クルトの胸からほんの少しだけ太い金属の丸い棒が顔を出していた。


「矢が刺さったままなの!」

「ッ!?」

「あッ!?」


 クルトを治すためにはまずは矢を抜かないと。あたしは金属の矢を指で摘まんで引き抜こうとする。でも……。


「抜けない…!」


 指が血で滑って全然抜けない。違うわね。たぶん、勇者の力で全力でやれば抜くことができると思う。でも、そんな力で抜いたりしたら……怖い……クルトの命ごと引き抜いてしまいそうで怖い。


 クルトの顔はもう血の気というものが失せてしまっている。目の下や唇が蒼黒く染まっていた。もう一刻の猶予もない。このままじゃクルトが助からない。あたしがやるしかない。


 そう自分に言い聞かせて、両手で金属の矢を握る。


「あたしが抜くから」

「分かっています。すぐにヒールを唱えます」

「私、も…!」


 あたしたちはお互いの役割を確認し合って、真剣な表情で頷き合う。


「いくわよ。3、2、1、0ッ!」

「グフッ!」


 あたしが矢を引っこ抜くと同時にクルトが口から血を零す。矢には返しが付いていた。矢は、クルトの肉を引き千切りながらもなんとか抜ける。


「ヒール!」

「ヒール…!」


 クルトの体が淡く緑の光に包まれて、無残に引き千切られた穴が盛り上がり、すぼまるように埋まっていく。同時に、小刻みに震え乱れていたクルトの呼吸が、深くゆったりとしたものに変わった。もう大丈夫かしら? なんとかなったっぽい?


 あたしは一度安堵すると同時に焦燥感に駆られる。


「イザベル!」


 そうだ。怪我人はクルトだけじゃない。イザベルも己の血の海に沈むほど重症だったはず。早く治療しないと! 気絶しているのか動きが無かったけど、もしかしたら、クルトよりも酷い状態かもしれない。


 立ち上がるあたしをハルトとリリーは悲しげに見上げていた。


「ルイーゼ……」

「早くイザベルも治さないと!」


 ハルトの言葉を遮ってイザベルの血の海を渡り、イザベルの元に辿り着くと同時に絶望する。イザベルの胸はもう動いてはいなかった。

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