第二部 正気の瘴気 狂気の凶器

 路上は踊り狂う群衆であふれかえっていた。

街中に仕掛けられたアンプからは重低音が鳴り響き、肉人形(非電子化人間への別称)たちは仮面をかぶり踊りあかし、幾人かの暴徒たちは対人間用オート自衛兵器によって組み伏せられていた。

そんな勝ち目のない戦に精を出す者、露出の激しい衣装で肉体を見せびらかす者、いたずらに迷惑行為を行う者、カロリーの高い食事を食べる者。

 様々なものがあふれかえる中を、津浦 水面は歩き続けていた。いつもよりさらにスピードの上がった、もはや競歩と言っていいレベルの速度と眉間へ寄ったしわから不服である感情ということが分かる。

 水面はビルの一角へ入っていった。1階・2階がコンテナ募集中。最上階の3階へと足を踏み入れる。ドアを開けると戸張 汐が虚ろな目でデスクを眺めていた。

「おはよう」

戸張は無表情で水面の方を向く。

「私の嗅覚センサーが有機物、とりわけ老廃物の匂いを感じる」

「だろーね」戸張はがっくりとうなだれる。

「高波 英。おでこに穴のあけられた男が不死殺しにかかわった人間であることは掴めたけどな」

水面はデスクに座りながら、町の喧騒に耳を貸した。

「昨日の夜からずっとだよ。若者は元気だね」

「今の文章には主語がない」

「この騒ぎ」

「カレンダーを検索したが、近日中に祭りの様子はない」

「葬式だよ」

戸張は窓から騒ぎを眺める。

「電子化人間に対して反発的な思想を持つ人たちが、葬式をひとつのフェスにしたんだ。都会で最近見られてたけど、この辺では珍しいな」

「あなたも死んだ時はこういう風に見送られたいか?」

「俺は騒がしいのは苦手だからね。」

「覚えておこう」

「覚えておこう・・・って」

「高波 英が殺されたように現在の不死殺しは目的達成のためには手段を選ばない傾向にある。殉職というケースも当然あるだろう」

水面はポーカーフェイスでお茶を自分で入れ、飲み干した。

「二階級特進かぁ。出世なら生きてるうちにしてほしいよなぁ」

戸張は生あくびを一つした。

「こうも毎日職場で調べものを隅から隅までしてりゃー、生きてる心地がしないよ」

「生きているのに?」

水面は笑みを浮かべた。

「変わっている」


部屋。

鰆はエキサイトしていた。いや、暴走といってもいいものだったかもしれない。彼のポリシーである、生命のあるものには言葉を介して議論し、相手を納得させる・・・。その法が破られたからだろうか。

彼の足元には数多くの躯が転がっていた。様々な端末。黄金比に基づいて作られたという触れ込みの美しい女や男の顔たち。圧力をかけてそれをつかむことでボロボロと部品が崩れる。

「素直」鰆が呼びかける。

舫 素直は扉を開け、部屋へと入ってきた。バツの悪そうな顔を浮かべて。

「どうした?」

「ちょっと・・・。この前の事件の時から頑張りすぎてたから気になって」

「そうか。ありがとうな」

鰆が煙草を咥え、火を点けさせた。

「不安を感じたか?」

「ううん。私は言われたことをするだけだから。たださ」

「なんだ?」

「昔のこととかおぼえてるかな、なんて」

昔。鰆は目を閉じた。電子化人間とのいがみ合いが終盤を迎えた少年時代。路地裏には血と破片が転がっていた。人間側の収束を取ることに戸惑った電子化人間たちは生存権の放棄、という法を通した。

電子化し、自分の精神を残そうとすることのない人々は生きる意志がないものとし、電子化人間の要望に応えない場合は対応に生死を問わないとしたものだ。

友人を目の前で失った鰆は絶望と自分への怒りを抑えきれなかった。友人を助けることのできなかった怒り、悪法に対し声をあげなかった怒り。その瞬間から鰆は血と肉で動く機械と化した。

電子化人間へ「公平さ」を与えるものに。何度も蘇りを果たす不死症に、生も死も放棄したものへ仮初めの死を与える機械に。

鰆は素直の手を引いて外へと歩き出した。

終わりが近いことを二人とも肌で感じていた。

鰆の目に二人の男女の姿が映った。


「二つで十分ですよ」

老人の差し出すうどんを山のように積みあげ、水面は客の顔を目で追う。

「燃費の悪いマシンだな」戸張があきれた顔で眺める。

「本来の人間のデバイスでは不可能な機能を積み上げているからだ。この程度の食費は経費の内だ」

「アメ車みたいだな。嫌いじゃない」

街の三角コーナーと呼ばれる、人間街。中央区に近い北側の地域は田園や農村が多く、スローに短くも長い生涯を終えようとする人々がいるが、南側の地域は完全に眠れる反電子化人間たちの居住地となっている。

怪しげな店、分厚くなるほどに貼られたポスター、転がった誰かの端末の部品。何にもまして目を引くのがホテルの数だった。

蛍光ピンクや紫の光で彩られた建物の中で今も何人かの恋人たちは享楽に明け暮れているのかもしれない。

戸張としては気まずい気分であったが、水面の方は意に介していないようだった。

「花より団子か」戸張がつぶやく。

「・・・その諺は今のシチュエーションとマッチしていないように思われるが?」5杯目のうどんを啜り上げて水面が言う。

戸張がごまかそうとして顔を振ったその時、奇妙な感覚を感じた。

「どうした」

「さっき出てきたビル、あんなに小さかったか・・・?」

近づく。

「その場所はさっきも調べた通りだ。第4大橋ビル。地図でも今検索したが間違いない」

ビルの壁と壁の間に入っていく。

「さっき撮った映像と地図の縮尺を合わせてみな」

「・・・何してる」

ご丁寧に壁の隙間には花や植物(おそらく造花)で埋まっている。臭い物に蓋をする。非常に人間らしい心の動きだ。戸張は感じていた。

抜けた。そこはビルとビルの間の中庭だった。小学校の校庭ほどの大きさで、周囲をビルで囲まれている。

奥にはプレハブで建てられたであろう小屋が見える。そしてビルの窓からは爛々と眼がのぞいていた。

「腹つかえなかったか?」後ろから出てきた水面に言う。

「消化にかかる熱量は人間の比でない」

「奥の女は電子化人間だね?」

ビルの上から声がする。

舫 素直だった。カジュアルな姿にグローブ。服装もパンツ姿で街中での戦闘を想定したものと考えられる。

「戸張、君は下がっていた方がいい。やつらは今は人間も躊躇しないはずだ」

戸張は自分の周囲の殺気をすでに感じ取っていた。おそらく15人以上。敵は素人であることは間違いないが、それなりに修羅場はくぐっているだろう。

「生き延びるのでやっとってとこかな」

「それでいい」

水面の言葉を聞き終わらないうちに戸張は数メートル前にいる相手の片足へタックルし、続けざまに逆サイドの足を刈った。腰と頭を打ち付けたようだった。しばらくは戦力にならないはずだ。

水面の首につかみかかってきた男の手首を両手でつかみ、逆側にモーターを回す。手首が粉砕され崩れ落ちていく相手の顔面を蹴り飛ばす。

相手との距離、相手の武器の距離、自分の体の距離、すべてを把握し計算する。さらに。

背後から角材でフルスイングする男。その角材を顔で受け止める。さらに蛇のように腕を絡ませ、押しこむ。バランスを崩した男の喉元へ指を伸ばし、突く。痛みの感覚をなくす、ほぼ反則だった。

自分が出なくても数分でけりが付く。戸張はそう考えていた。だが。

徐々に・・・。徐々に歪みが生じてきた。

痛覚を排除した電子化人間にとって急所は一つ。CPU・メインカメラが入った頭部。防御する箇所が一つであればいい。対して人間の急所は心臓・肋骨・肝臓・みぞおちなど50個あるといわれている。

だが。時間を追えば追うごとに。明らかに水面が劣勢になっている。

戸張がそのことに気づき、駆け寄ろうとしたときにはすでに組み伏せられていた。

なんて単純な。そして明確な。

数秒ごとに仲間の数が次々と増えているのだ。

それは倒すべき的が増えるというだけではない。

処理落ち。電子機器において処理速度が極端に悪くなることを指す。どんな優秀な機器でもそれを超過したタスクがあることで処理速度の低下・ラグが起きる。

その数/1秒。刹那と呼ばれる一瞬の隙は武術やスポーツにおいては死を意味する。もし水面がヒトであれば。その数/1秒の間を極限にまで高まった集中力であらゆる行動を起こすだろう。だが、デジタルな価値では。数秒は数秒。変動されないのだ。

なんというアナログに徹底した戦い方だろう。

「次の壊し方は・・・」素直が水面に近づく。

その瞬間水面の右ストレートが素直の顔をとらえた。

入った。統率を取っていたのは素直。ほかはノイズに過ぎない。大本をとらえれば終わる。

そう戸張は感じていたが。完全に顔をとらえていた素直は右腕を差し出し、水面の首をつかんだ。

「過充電」素直の手から火花が散る。

と同時に、水面の体が脱力した。


窓から入る陽の光が煩わしい。

戸張にとって朝から昼は活動する時間帯に感じられなかった。

鰆に関する資料も斜め読みするだけで頭に入らない。

それに。

戸張の斜め前に座っている姿が見当たらなかった。

2日目になるがまだ踏ん切りがつかない。

「ったく、せっかくあんたのこと気にいってきてたのによ」

気に入らない。

だが、なにが気に入らないのだろう。

忙しさにかまけて考えられていなかったが、このもやもやする思いはなんなのか。

電子化人間の急増するのに対し人間の自分が、不死殺しと敵対する立場であることか。そして電子化人間の手先として働いていることか。それとも。本来であれば敵対する津浦 水面に対して仲間と思ってしまったことか。

頭を振る。考えていても答えはでない。なら本能のままに行動する。戸張の思考パターンだ。腰の関節をパキパキならし、机の上の資料を漁ると、封筒が目に付く。紙媒体の文書?書面を見ると取り扱いやら厳重やら、物騒な言葉が並んでいる。

「・・・」

戸張は封筒の中身を開けた。


一週間ぶりに水面を眺める。そうそうこんな顔だったと戸張は感じていた。

「まぁボディが早々と手に入ってよかった。あんたのは特注だからね」お母さまが呼ぶ。

水面は明らかに不満そうな顔で戸張を眺める。

「彼は」

「つれないな。夜にはあんなことやこんなこともしたのに」戸張は臭い芝居で返す。

水面は無表情で顔を10度ほど横に向け、お母さまの方を向く。

「そこまではあたしも知らないよ」

お母さまは言い、机を軽く叩く。

鰆の顔が浮かび上がる。

「こいつの被害がこれで14件目。上がってないのも入れるともっとかもしれない。只、これまでと違うことが一個あるのが」戸張を睨む。

「あんたが見てたってこと」

「これまでは被害にあった記憶自体が消えているから対策の仕様はないと」

「そういうこった」

「ただ、知っていたところでどう対応したらいいかは・・・」

水面は無表情で天井を見上げていた。


「バックアップとってたのがいつ?」戸張が聞く。会社への帰路。徐々にではあるがぬるい南風が通るようになっていた。

「3か月前」水面が返す。

「じゃ、同僚が倒れた記憶はあるってわけか」

「まだ修理されていないのか」

「だから俺がいるんだろ?」

急に返答がない。戸張が後ろを振り向くと水面が眼光鋭くこっちを見ていた。

「なんだよ」

「さっきのあなたの証言には虚偽が含まれている可能性が高い」

「はぁ?」

「第一に、私は性交渉という無意味な行為に及んだとは考えがたい」

「俺はあんなことやこんなこととしか言ってないぞ」

「第二に、あなたの風貌・性格・清潔感から以前の私の嗜好にあっていたとは考えづらい」

「手厳しいな」

「ほかに虚偽の証言は?」

「ないよ。ない」

「わかった。あなたのいう情報が正しければ問題ない」

水面の顔を戸張が眺める。

「行こう」


真夜中。久々に寒い夜。

戸張はビルとビルの隙間を這うように進んでいた。中庭を外部の人間からバレないようにするには密閉させるしかない。前回のように正門突破するよりこのやり方の方が有効だ。

もっとも、かなり筋肉を疲弊させるやり方ではあるが。

「しかし、よく他の場所へ逃げ出さなかったな・・・」戸張がつぶやく。

「自信過剰のように思える。彼らの統率力をもってすれば頷けるが」水面の声がイヤホンから聞こえる。

壁の間を虫のように這って進む戸張と違い、水面は正面から中庭へと向かう。

風の吹きこまないある種盆地のようなこの空間はいやに暖かい空気が漂っている。

戸張は暗闇の中で目を凝らす。ターゲットを見つけるために。

「ゾンビが来たっぽいね」

聞き覚えのある声だった。

素直が星の照らす中庭の中央につき、構える。

「ゾンビは群れで押し寄せると思ってたけど、今回は連れはいないの?」

その言葉をきっかけに周囲の気配が増す。やつらだ。

「水面。そいつが舫 素直だ」戸張が言う。

「事前に見た写真で知っている」素直も構える。

「ごちゃごちゃ言ってないで・・・」

闇の中から男がダガーナイフを振りかざし、突進する。その姿に対し、水面が前蹴りを放つ。

「さっさと来なよ」


水面が集団の相手をする間、戸張はプレハブ小屋に入り込んだ。室内は倉庫とも子供部屋ともつかいないような小道具であふれていた。

寝袋以外に見えるのは古本、酒瓶、注射器、枯れた花、古いデスクトップパソコンと洗濯機の回路をつなぎ合わせたもの、海外の古いおもちゃ、数本のバイブレーター。

「ニューミュージックってさぁ」

戸張が部屋の隅に目をやる。暗闇の中から光った目だけが見える。

「ばかみたいな名前だよな」

戸張は銃を構える。数十年前から使用が禁止され、自分も訓練生以来持つが汗で銃が揺れる。

「そのまま動かず、武器を置け」

「動いてないし武器ももってねーよ」鰆が続ける。

「なんでその次のジャンルができるのにニューなんてつけちゃうかねぇ。今じゃ古く聞こえるよ。新人類にアメリカン・ニューシネマ」

じっと顔を見つめる。資料で見た通りの鰆の顔だ。


水面の戦況は圧倒的だった。

前と同じで一対多に変わりはないが、その裁き方にはまったくもってブレが見えない。

増員に次ぐ増員を素直は行うが、むしろそれが混乱をきたしていた。

アップデート。

素直側のアナログな戦術に対して水面側はこれまた明快にデジタルな戦い方を行った。

シンプルな処理速度の向上。反射神経と機密動作、筋力。それを正しく行う統率力。

相手が処理落ちを狙うならば処理の向上を行えばいい。

「!」

火花が散る。過電力グローブ。素直の切り札をすでに抜いてきた。

掌と掌の間をすり抜けた長めのジャブが素直の右ほほをとらえる。

戦い方を変える必要がある。


「彼女、前よりも切れが増してるね」鰆の声が響く。

戸張の銃の照準は鰆の眉間をとらえている。ブランクがあったとしてもこの距離で外すことはまずない。

「アップデートか・・・。人間はいつからアップデートするようになったんだ?」

鰆の体が動く。わずか数センチ。

「人間が人間らしい営みをする。機械にならないように、自らの意思で考える。それが人間だ。違ってたらいってくれ」

「動くなと言ったはずだ」

戸張の体も、それに連動しているように後ろへと下がる。

「人間が社会の歯車にならないようにしていた行為を、俺たちは数年の間でもとに戻してしまった」

戸張のかかとが壁へと当たった。背中も壁へ着き、腕だけが鰆の方へ向いている。

「昔産む機械なんていって批判された政治家がいたな」

銃口が鰆の胸に当たる。

「今の俺たちの上にあるのはまさに息をする機械さ」

鰆の手が銃をつかみ、そしてそれをぽいと捨て去った。


数十人が戦闘に参加できず、素直を含めた4対1。

「あんた機械なんだろ?それにしては学習能力がないね」

「何の事だ」

「この前こいつにひどい目にあっただろ?」

「覚えてないな」

「じゃあもう一回くらったら思い出すかもね」

竹刀を持った男が水面に襲い掛かる。ただ、目測でリーチを正確に測ることのできる電子化人間にとって剣道というのは非常に分が悪かった。片手で竹刀をキャッチし、振り払おうとサイドに竹刀を振った空間へその勢いを活かした右が入り、男は崩れ落ちた。

1秒溜めを作り、別の男の喉元へ強烈な突きを放つ。ほぼ反則と言えるほどの技をくらいもんどりうった。

もう一人は威圧感から臆したらしく、棒立ちになっていた。となると残りは。

素直は両手のひらをこちらへ向ける。護身術でいう静止の構えに近いが、今の彼女にとっては最大限の攻撃を放つことができる構えでありながら、うかつに手を出せば一瞬で反撃を与えることができる。

前後に揺れ、フェイントを交えながら左右の打撃を出す。じゃれる程度のこぶしの後、腰を入れたパンチが飛んできた。威力ではなくスピードを重視すべきだった。力を入れて振りぬいたことで1秒のラグができた。

右、そして左の手首をつかむ。素直の表情に恐怖心が浮かぶ。最大の力を手に注ぎ込む。大量の電気が流れ込み、素直の体は吹きとんだ。


中庭からタンパク質のにおいが漂っていた。

「じきに彼女がこちらへ来る。もうあんたもおしまいだ」戸張が言う。

鰆は床に腰掛けていた。

「俺は昔ずっと空気が読めないって言われてたよ。訳が分からなかった。空気は吸うもので読むものじゃない」

「独り言は精神病棟でずっと語っておけばいい」

「世界は嘘に満ちてる。みんなそれを知ってるけど、それを飲み込むんだ。俺はそれができない」

「黙れ」

「間違っているっていうと、空気が読めない、使えないやつ呼ばわりをされるのさ」

戸張は水面を見る。集中しなければいけない。脱力しきった様子だが、いつ逃亡するかわからない。

「でも俺も一つ嘘をついた」

「何?」

「さっき武器を持っていないっていっただろ。あれだ」

水面は戸張にタックルを仕掛けた。二人は床に転がり込んだ。戸張の数枚の髪を裂き、高速で移動したワイヤーは鰆の首を切り裂いた。

地面に対して並行に鰆の首に赤い線が引かれた。

「見ろよ。血が出てる。俺は人間だ」

鰆の首は床に落ち、まだ活動の続ける心臓は喉があった場所へと血液を送り込んだ。


「なるほどね。生ゴミらしい無残な最期だねぇ・・・。」

お母さまは寝物語を読んでもらうようにワクワクしたまなざしで戸張の報告を聞いていた。

「報告は以上になります。まだ資料には続きがありますが、いったんここで」

「ええ。ご苦労だったね、あんたも」

水面は相変わらずの仏頂面を続けていた。

戸張も微動だに姿勢のまま立っていた。

「・・・。なんだい、もう報告が終わったんなら帰んな。私も忙しいからさ」

お母さまは義鼻を取り出しぷらぷら振ってみせた。

「一つご質問が」

「言っていいよ」

「お母さまは電子化人間と人間の共存はどうすべきだとお考えですか」

お母さまはぐずるように渋い顔をしてみせた。

「くだらない質問だね。はっきり言ってカスみたいなもんだ。頭を使いたくもない」

「お答えください」

「あんたその鰆とかいうやつに丸め込まれたんじゃないだろうね」

戸張は黙って立ったままだ。

「何か言わないと帰らないなら言ってやるよ。新しい基準に適応しない種は生きるに値しない。それだけさ」

「共存の必要はないと?」

「すでに人間の数は減少。絶滅に近い量だ。あんたらは絶滅危惧種だよ」

「なら保護すべきでは?」

「それを断ったのがあんたらだろう?」

お母さまは資料を丸めてたたいてみせた。

「本来なら駆除へと動いてもいいんだがね。あんたのおかげで反乱分子もいなくなったしね。ほっときゃ消えるよ」

「了解しました。では資料に戻ります。最後のページをご覧ください」

お母さまが紙面に目をやり、数秒たち目からは生気が失われた。

少女の姿の端末を戸張は担ぎ上げ、ベッドへと座らせた。

「もう目を開けていいぞ」戸張は資料の最後のページ、封筒の中に入っていた海猫の生み出したウイルスを破り捨てた。

「でもよく許してくれたな。ほとんど俺との記憶もないのに」

「あなたとは考えが違う。それでもあなたのことを完全に否定することはできないと感じた。それに」

「それに?」

「これくらいの間いっしょに行動した相手なら信頼してもいいと思った」

窓を1月の涼しい風が吹き込んだ。

「笑顔が汚い」

「悪かったよ」

「これからどうするつもりだ」

「さぁ。晴れてパブリック・エネミーになったわけだし。また動くときになれば動くだろうよ」

「ここからは別々か」

「まぁね。こんどあったときはうどんおごってやるよ。一杯だけだけどね」

「何故私の好物を?」

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不死症 微糖 @Talkstand_bungeibu

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