不死症 微糖

@Talkstand_bungeibu

第一部 絞殺の考察 刺殺の視察

鰆 正嗣は数時間前に会った女のデバイスの頭部を浴槽につけるのに必死だった。女は何度も頭を上げようとしてくる。顔は息苦しそうにしている。

馬鹿馬鹿しいと鰆は思った。呼吸器はデバイスにはついていない。「木偶の坊」が動かなくなるのはうなじにあるケーブル差込口に水が入り、端子がさび付くからだ。危機的状況においても人間らしくあろうとする作法に鰆は胸糞悪くなった。

女の体が動かなくなり、風呂場から部屋へと戻った。鰆の部屋はいわばおもちゃ箱そのものだった。家具と呼べるのは照明器具と寝袋だけだ。あとは散らばるのは睡眠薬の箱、ハードコアポルノ雑誌、数種のドラムマシーン、ドアマット代わりの贋作の「泣く女」、ペンタブ型自動タトゥーメーカーと替えの針、マッカラン、江戸川乱歩全集(2)、腰痛と頭痛薬。

そんないろいろが並べられている中、女のデバイスをその真ん中へ置いた。鰆はじっくりとその抜け殻を観察した。

金髪、豊かな胸、くびれた腰。嫌味のない上品な顔だち。全然繫盛していない商店街のキャラクターのようにキュートだった。どう処分するか。多少面倒だがやはり解体の必要はある。プラスドライバー片手に首やら腕やらをパーツごとに取り外していくと、舫 素直が入ってきた。

「何か手伝ってもいい?」

 「ああ、じゃあ下半身を頼む」

 鰆は素直の笑顔を眺めた。自然な表情だった。顔文字ではなく、油絵でかかれた少女の微笑だと思った。鰆は時々素直の体を愛撫した。だが鰆と素直は恋人ではなかった。信者と教祖の関係だった。素直は25歳だ。20歳の時に鰆の書いた文章に影響を受けて家に直接押しかけてから、鰆の所有物となった。素直は記憶をクラウド化もしてないし肉体デバイスのままだったが、「木偶の坊」よりも機械のようだと鰆は感じていた。

 鰆の支持者の中でも素直は熱狂的だということは誰もが知る事実であり、活動の貢献度も比ではない。周りの反対意見を無視してでも、もやし人間(電子化人間への劣悪なスラング①)や電気マグロ(電子化人間への劣悪なスラング②)らへの拉致を積極的に行った。

 「ほらみて。腹話術みたい」素直は女の口をパコパコ動かせた。

 「関心しないな」

 素直の瞳が変わった。

「ごめんなさい・・・」

「いや、もういい。あらかた解体も終わったし、捨てにいってくるよ」

「私も行く」

「いや、これだったら一人で十分だ。助けてくれてありがとう」


 鰆は夜の街に降り立った。人口統制がなされ、すっかり静かになった町中を歩いていく。鰆の脳内は、素直についてだらだらと考えていた。

 舫 素直。面白いやつだ。彼女ほど自分の考えへと忠実な存在は見たことがない。彼女は自己というものがない、というか消している。電子化人間が生まれ、寿命という存在がなくなり、ロボット化生活が進み、労働の必要性がなくなったニューベーシックの日常において、彼女はユニークだった。

彼女は電子化人間よりも機械的だ。技術の進歩によって人間は永遠を手にした。そうなった時に人間は手に余るほどの自由を持て余し、一億総うつ化するようになり、電子化人間たちの自殺も後を絶たなくなった。クラウドによって幸福だったころの記憶に戻し、人生をやり直すことのできるホビーとしての「自殺」が流行する。いまや命はゲームの残機でしかない。

そんな中で彼女の存在はひときわ輝くものだ。ああ腹がへった。完全に自分の人生をアンチ電子化のためにささげている。生身の人間(電子化人間に比べて人生をより重要視する傾向のある)はそれを批判する人もいるだろう。が、大なり小なり何か大きなものに寄りかからなければ人生には味がないのではないか。それが家族であり、それが経済であり、それが恋愛であるというだけだ。ああ腹がへった。


女の抜け殻は誰もいない道端へ置いてきた。朝になれば起きだした人々が見つけるだろう。シリアルナンバーは削ってあるし、あのデバイスは人気だ。すぐに誰かはわからない。ニューベーシックの世界では、犯罪は存在しない。ということになっている。財産と半永久の命がある今、経済を動機にした犯罪はなくなり、傷害事件も意味をなさなくなっている。事実上は警察は存在しなくなっている現在の犯罪行為は容易かった。

二人分の食べ物を買って帰宅すると、床がべっとり血まみれだった。素直の手首からなみなみと血が流れていた。

「おい・・・。」

「ごめん。これでやっと覚えるから」

傷は深く包帯が1/4ロール必要だったが、治りが早く包帯を巻き終わる前に傷口はふさがっていた。

「ごめんね。私犬だから、こうしないと覚えらんないの」

「おまえは人間だよ。100%まじりっけのない。」

鰆が久々にかいだ血のにおいが部屋の中に充満していた。




“お母さま”は趣味の香水を楽しんでいた。“お母さま”のデバイスは9歳の少女であり、国はスウェーデンのものであった。額は国が二つ買える値段ほどだった。

彼女の顔には似つかわしくないくちばしのようなものがついていたが、これが人口鼻であった。嗅覚センサーに関しては情報処理の観点から容量を圧迫するためオフにしていることが多かった。このためにおいというものは電子化人間にとっては富裕層しか味わえない贅沢であった。

トムフォード、ブルガリ、イブサンローラン。机の上に置かれたこった作りの瓶を“お母さま”はうっとりと眺めた。

虫型端末に体を宿す船虫 一夫は緊張感を感じながら彼もまた香水のにおいを嗅いでいた。

 電子化人間の増加を一層早めたのは誰よりも「お母さま」の手腕であった。数年前には半々ぐらいであったヒトとの比率は7対3までになっていた。それを政治的・経済的・文化的とあらゆる点から普及させたのが彼女であり、正真正銘のフィクサーであった。その気迫たるや、小虫の自分には耐えられないほどの重圧だった。

 「やっぱり生身の人間の仕業かい」

「どうなのでしょう。その可能性は大いにあるかと・・・。電子化人間がこのような無為な出来事をするようには思えません」

「下衆共が・・・。」少しの間があいたあと、少女がいたずらを思いついたときのようににこっと笑った。

「犬に犬を食わすか」


 熱海 吾郎はソファにどっかりと腰かけ、愛娘、雫の積み木遊びを見守っていた。彼女はこれを8年にわたって繰り返していた。

 技術の革新によって労働が不要となった今、学習や成長も不要であるとなり、親および本人(といっても乳幼児のだが)の意思が一致した場合、成長や老化を止めるために一年に一度デバイスを捨て、同じ年齢を繰り返すという層がいる・・・。彼らもそのうちの一つだった。

 第二次性徴、反抗期、家出、家庭内暴力。そんなごたごたは御免だ。それよりも天使のようにかわいい娘をかわいがっていたい。それが熱海夫婦の思いであった。

 積み木を積み、そして崩される。賽の河原というものはこれほどに幸せだろうか。時に熱海氏はそう語った。

 チャイムが鳴った。

 胸騒ぎが体を通り過ぎた。不安そうに見つめる雫に笑顔を返す。妻の美秋は友人と食事へ出かけている。仕方がない、と椅子から立ち上がる。

夜遅くにくる訪問者というのはたいていよくないニュースとセットだ。熱海は護身用のあるものをもってドアを開けた。

 玄関には黒いスーツ姿、ひっつめ髪につり目の顔をした女性と小柄でショートカット、眼鏡をかけた女性の二人が立っていた。

「夜分遅くに失礼いたします。クラウド省バグ処理班のものです。」

スーツ姿のほうが口を開いた。

「バグ処理班?」

「わかりやすく言うと、これまで犯罪・事件と呼ばれてきた類のものを修正していくという管轄ですね」

「犯罪・・・?そんなものがまだ?」

「便宜上、存在しないのですが、どうしても起きているものが年に数件ございます。」

「なんてこわい・・・。うちにはまだ小さい娘もいるのに」

「そのためにいるのが私たちです。私が潮満 茉莉藻。彼女が津浦 水面と言います。」

津浦と呼ばれたその女性はまだ一度も口を開いていなかった。すべてのものに集中し、毛穴に内蔵されたセンサーを奮い立たせているようだった。

「だが一体何を目的に?貧困もない、怨恨による殺人も起こらない。何が起きているんですか?・・・もしや、不死殺しと呼ばれるあれですか?」

その単語が出た瞬間、3人の間を電流が走る。

「いえ。その騒動も犯罪であろうとして捜査を進めていますが、今回は別件です」

「では一体・・・?」

「デジタルドラッグです」

「デジタルドラッグ?」

「ええ。いわばウイルスの一種です。これを私たちのデバイスに潜り込ませ、処理をおかしくすることで、センサーに幻覚のようなものを与えるというものです。これを流通させているのが、海猫 徹という人物です。」

「ということは、彼がこの家の近くにいると?」

「いえ、彼が潜伏しているのはこの家そのものです」

「・・・成程。私が彼に協力していると。そう思うならぜひ調べてみていただきたい。この家には私と家族以外誰もいない」

「いえ、この家に潜んでいます」

熱海はすり足で後ろへ下がった。

「海猫の逃走経路はほかのデバイスへの乗っ取り。数日前から熱海氏の挙動がおかしいという噂は前から確認している。熱海さん、海猫はあなたのなかに潜りこんでいる」

ケーブルを掴んだ熱海の右腕を捉え、津浦は壁を蹴って逆上がりする。熱海の右腕は曲がってはいけないほうに降り曲がる。そしてその顔を膝で押さえつける。

「早かったな・・。まだ入って5日しか経っていない」熱海が、いや海猫が話す。

「今の時代に危ない橋を渡ろうとするなんてあんたも酔狂だね」潮満が言い、無理やり立たせる。

「向こうの部屋に荷物があるんだ。とってきていいか?」

「ああ、とっととしてくれよ」V1アームロックといわれる関節技をかけたまま潮満が立たせる。

「潮満」水面が呼び止める。

「大丈夫、私がついていく」

「確保次第すぐに護送することになっている」

「必要になる証拠品もあるかもしれないだろ?」

「できない。順序と異なる」

「どっちでもいいけどよ、早くしてくれないと腕が折れちまうぞ。俺はいいけどこのデバイスの持ち主に悪いんじゃねーの?」

熱海が声を荒げる。

「ああ、すまないな。相棒は意識も電子化してるもんで、頭が固いんだ」

水面の方を向いて言った。

「なんかあったら私が責任取るよ。少しは頭やわらかくしな」

水面は表情筋モーターをひとつも動かさずに顔をそむけた。

10秒。15秒。30秒。40秒。

その間にキッチンへと立ち寄りキッチンナイフを手にする。熱海は一般的な中年男性型デバイスだ。この程度で十分殺傷能力はあるはずだ。

55秒。1分。

感覚を研ぎ澄ませる。かすかな呼吸音。止まる。

引き戸の影に体をひそめ内部を見る。

二つのシルエットがのぞく。うち、一つの影がマリオネットのように首が傾いた。

影を見た瞬間。クラウチングスタートを切る短距離走の選手のように。

もしくは密林に潜む肉食獣のように。水面はターゲット、熱海の体につかみかかった。

しかし、熱海の体にはすでにケーブルが繋がれていた。

熱海のデバイスから海猫はログアウトし、その瞳には生気がなかった。

二つの骸を抱え、水面はその場に座り込んだ。


「デジタルドラッグ型ウイルス、ですか・・・」

戸張 汐。人間。事前に知らされていたデータから聞いた年齢より年を食ってみえる表情に、お母様はぎこちなく感じた。

「そ、そいつをこいつの相棒の潮満が目にしてね」指さした水面は執拗に茶を飲んでいることから不服そうな心情であることが分かる。

「だからあんたを新しいバディとして組ませたいわけ」

「ちなみに私は必要ないと言った」敬語という概念がない水面はどこへともなく言った。

「俺も不死症と組むのは初めてですね」

水面の眉間にしわが寄る。

「人間の肉体のわりにはデリカシーというものがないように感じられる」

「ロボットもプライドが傷つくのか?」

お母さまは9歳の少女とは思えないほどアメリカナイズなジェスチャーで肩をすくめる。

「水面、これはあんたにとっても必要なことなんだ」

水面は黙って視線をお母さまの方へやる。

「あんたもやるかい」お母さまは義鼻をつけ、香水を差し出す。

「私にはにおいが強すぎるので」戸張はそう言って断る。水面も手で制する。

お母さまはハンカチに垂らした香水を深く吸い、続けた。

「あんたらには不死殺しを追ってもらう」

緊張の糸がぴんと張る。

「昨日新しく被害者が出た。今回はそこの女。肉体がバラバラになっているが水が入ったことによる接触不良が原因」

「端末が“水没した“ってわけですか」戸張がからかう。

「やはり電子化人間がこの事件を扱うのには限界を感じた。あんたの人間の勘ってものに期待したい」

「ほう?」

「犯人はかなり猟奇的な人間だ。電子化した我々の意識は一般的な人間をもとにしているからな、あんたのような未規定の要素がある人間が捜査に臨んだ方がいいと思ってな」

お母さまは香水の匂いを味わうようなそぶりを見せ、戸張を見る。

「お前たち人間が役に立つことといえばそれぐらいだ。人間の欠陥品は人間が始末しろ」


「名刺いるかい?」

戸張が腰をバキバキ音をさせながら言う。

「あなたの情報データは既に取り入れている」水面が小股で素早く歩く。

「知ってる・・・。冗談さ」

「冗談とは聞き手や読み手を笑わせるためにすることだと聞いているが、今はどんなところを笑えばよかったんだ?」

「・・あんたとコミュニケーションを取ろうとした俺が間違いだったよ」

「そんなことはない。適度なコミュニケーションを取ることは仕事に有益な効果をもたらす」

「じゃあ覚えておいてほしいんだけど、冗談を言った相手にどこが面白いのかを確認するのはマナー違反だぞ」

「解せない。何が冗談で何が真実が不明な時はその真意を確認する必要がないだろうか」

「まったく・・・。はるか昔にできたsiriだって冗談ぐらい言ったっていうがな」

「2010年代当時は余分な文化を楽しむという前時代的な思想があったからである」

「である、ときたよ。ほんと体温計より機械に近い女だよ」

「体温計の機能は私にもついている」

戸張の首に触れ、笑みを浮かべる。

「36度5分。平熱」


温室。真冬とはいえ日の一番高い時間である。そして狭い空間に密集した人間たちの体によってもその熱はもたらされていた。

 錆びたパイプ椅子に括りつけられたその男。高波 英は、右目を腫れ上がらせ、顔から流れる血で服を汚していた。

「何もしてねえって言ってんだろ!」怒声と哀願を含んだその声で高波は叫ぶ。少しでも痛みを分散させるために全身は細かく震えていた。

舫 素直はまったく暑さを認めないような声で言い返した。

「ならなぜ遺体があんなに早く見つかった?」

「だから何度も知らねえって言ってるだろうよ!俺に聞くなよ!きっと誰か別のやつがリークしたんだよ!それか鰆の野郎が間抜けな場所にカラダを置いたんじゃねぇのか?」

周囲を取り囲んだ男たちは汗を垂らした。男たちは両手を服で丹念に拭いてから高波の顔を押さえつけた。

素直が左手で高波の頭を鷲掴みにしたとき、彼からはあぁあ、と小動物が呻くような声をあげた。

「一つ、仲間であればなぜあの場所に遺体があったかについて前向きに改善点を述べるべきだ。二つ、私はなぜあの場所に遺体があったかを聞いたのであって誰がリークしたかとは聞いていない。それなのになぜおまえは誰か別のやつがリークしたといった?三つ」

素直は右手の中のものを見せた。鏡の破片だ。

「間抜けな場所、と言っていたな。」

素直の左手が高波の瞼を強引に開ける。黒目が細かく左右に移動する。

「それは鰆くんが、間抜けと言ってるのか?」

男の声にならない悲鳴が周囲へと響いた。素直は一切体を震わせることなく、高波の瞳に鏡で太陽の光を反射させた。

口がぱくぱくと開き、冬の日差しをあびて鏡が虹色に光って見せた。

「ういー」

背後から声がした。周囲の男たちが一斉に姿勢を正したことで解放された高波の体はばね人形のように体をねじらせていた。

鰆だった。

素直は鏡を放り出し、舫の元へ駆け出していった。やっといたけどなかなかゲロらないんだよねーと、漫画であれば語尾にハートマークがつくような声で鰆の腕に縋りつく。

「二人にしてくれ」鰆が言い、みなその指示に従って見せた。鰆は来ていたジャケットを脱ぎ、リュックから工具箱を持ち出した。それに気づいたかどうか、高波は縋るような声で言った。

「鰆ぁ。あんたの元で俺は何年働いたと思ってる?」鰆は椅子へ近づき、胸ポケットから何か取り出した。サインペンだ。

「5年だぞ5年。そんなやつが裏切ると思ってんのか?」

「トレパネーションって知ってるか?」

高波はきょとんとする。

「なんだそれ・・。んなもん知るか!さっきのスケにも言ったけどなぁ、あんたの不始末を俺のせいにするんじゃねぇよ!」

鰆はサインペンで高波のおでこに黒丸をつける。高波が動いたのと汗によって丸は楕円の形に変化した。

「今は医学的に精神病を治療することができる。だが昔の治療はそうじゃなかった」

「おい、もうちょっと冷静に考えたらあんたもわかるだろ?俺がやったかどうかなんて」

鰆は続ける。

「そこで用いられたのがこいつ、和名に直すと頭部穿孔だ」

「さっきから人の話聞いてんのか!俺はあんたに聞いてんだぞ、クソっ。耳ついてんのかてめぇ!」

「ものの本によれば古代時代の頭蓋骨にもこの痕が残っているという。人類最初の手術ともいわれている。」

高波はパイプ椅子に縛り付けられたままにげようとし、転倒する。それでも芋虫のように這って逃げようとしたところを鰆によって元の位置へと戻される。

「施術を受けた患者たちはこぞって楽観的になり、とにかく楽しいという。もっとも事実かどうかはわからないが」

「鰆、なぁ、頼むよ。俺にも家族がいる。忙しくて数年あえてねぇが、俺が死ぬと悲しむやつがいるんだよ」

「方法は簡単。頭皮を切開し、頭蓋に穴をあける。古来では鑿と槌が用いられたそうだが、今は便利なものがある」

鰆は工具箱に座り込むと、日曜大工で使うような電気ドリルを取り出した。

「これなら簡単だ」

高波は瞳孔を開き、汗をたらして言った。

「チクったのは俺だ!全部俺が悪かった!あんたの正体は言ってない!本当だ、ただ次の遺体の場所を言えば仕事をくれるって・・・」

鰆はドリルの刃をおでこへと当てた。楕円の中心に

「たのむよ・・・」

「ああはらがへった」

ドリルが回転した。


「しかしなんでまたパートナーが変わったんだ?」戸張が話しかける。

東京都中央病院。電子化人間の増加によって医療施設は激減した。地方の7か所を除けば、都内ではここが唯一の病院となっている。

「電子化人間が負傷したんなら、端末を変えればいいだけじゃないのか」

「彼女が感染したものがPE.Magistra.Aの亜種だ」

「なんだそれ」

「BIOSを破壊するもタイプのウイルスと考えればいい」

「びお?」

「不揮発性メモリに格納されたプログラムだ」

「分かりやすくいってくれるか」

戸張はこめかみを抑えた。

「ファームウェアの一つでハードウェアと最も低レベルな入出力を行うものだ」

「余計わからなくなった」

「冗談だ」水面はポーカーフェイスをまるで崩さずに言った。

「OSを起動するものと考えればわかりやすいか」

「・・じゃ、端末を超えた意識の範疇まで破壊されたってことか」

「そうなるな」

戸張は両手を組み考え込んだ。そんな対電子化人間用兵器を持ち歩く存在。

「しかしあんたの相棒も優秀じゃなかったようだな。そいつをもろに食らうとは」

「通常の格闘術ならインストールしてあった。一瞬確保の手順を無視したのが原因だ。やつが持っている写真を見たのが問題だった」

「写真?」

「眼と呼ばれる我々の画像スキャナの認識によって感染するウイルスだった」

「見ただけでアウトってことか」

「光が届く速度だ。銃より速い」

とばりさーん、とばりうしおさーん、と声がした。受付だ。

「行くか」


戸張と水面はベッドの上の女性を眺めていた。

「婚約者、という分類のものか」水面が言った。

「分類なんていうなよ」戸張は女性の手を握った。

「5回目の対電子化人間暴動の時に巻き込まれてな。ずっと意識がないままだ」

「恋愛感情か。古い価値観だ」

「古い価値観で悪いか?」

病室は暖かい風が吹いている。

「悪い、ということになっている。電子化人間並びに人間は新しい基準、新しい情報、新しい価値観を持たなければならない。アップデートは市民の義務だ」

「アップデートなんてな、人間はできないんだよ」

水面は戸張の表情筋から表情を読み取ろうとしたが、それは非常に困難であることがわかった。悲しみや絶望、怒りや自虐のようなものが混ざったものである、という結果が出た。

「最新の技術を使ってもらってるから、彼女はずっと眠ってる」

「ああ」

「彼女は生きてるのかな」

水面は首に手を触れる。

「脈拍70。体温平熱。36度8分。血中酸素濃度98%、瞳孔3.5mm」

視線が交わされる。

「生きている」

戸張は手を離した。

「3年かな。話していないのは。もう悲しいかどうかもわからなくなったよ」

「それは悲しくはないんじゃないか」

「かもな」

戸張は窓を眺めた。赤い夕陽と群青色の空が対比されていた。

「誰が言ったのかわからないけどさ、人の死には2種類あるっていうの、知ってるか?」

「おそらくネイティブアメリカンの言葉だと思われる。正式に誰が言ったものかは不明。人間は二度死ぬ。まず死んだ時、そして忘れられた時、というものではないだろうか」

「それそれ」戸張は顔を撫でる。

「普通の人はさ、まず体が死んで、それから忘れられるんだろうな。でも俺や家族が先に死んで、こいつだけが残ったら。それは生きているのかどうかわからない。違うか?」

「文学的な表現はよく分からない」

「だから俺がいる」戸張は丸椅子から立ち上がった。

「不死殺しは到底人間として理解できない精神の持ち主だ。だからそこへなりきるやつが必要だ。俺のような」


「戸張さん、警察の方だったわよね」戸張と水面が廊下を歩いていると中年の女性看護師が話しかけてきた。

「今は警察って組織もうないんだけどね。どしたの?」

「今運ばれてきた人で、ついたときにはもうなくなってたらしいんだけど」

「人間?珍しいね」

「それだけじゃないのよ」

黄緑色した廊下を歩く。後ろから水面も小走りに追っていく。

担架の上のシーツを取る。普通の人間の遺体と違うのは一点。男のおでこに当たる部分に穴が開いていたことだった。

「もう連絡は取ってあるらしいんだけどね」

戸張は黙り込んでいた。

水面が口を挟んだ。

「戸張、不死殺しは人間を殺さない。違う人間の仕業だ」

戸張はまっすぐ遺体を眺めていた。

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