真面目なのにユーモラス『文房具の考古学 東アジアの文字文化史』

 今回は『文房具の考古学 東アジアの文字文化史』(書誌情報は※1)です。


 鷲生はXで川村裕子さんという平安文学の研究者様をフォローしており、その先生のポストでこの本の存在を知りました(※2)。


 2024年6月に出版されたものですが、幸い図書館に入っていたので借りて読んでみたのです。

 川村先生がお褒めになっていたように、面白く、また参考文献が豊富に挙がっていて良書だと思いますが……。

 中華ファンタジーの資料本として購入すべきかどうかについては諸手を挙げて賛成……とはちょっと言いづらいですw 片手なら勢いよく上げますけれどもw


 といいますのは、この本の前半は「人類にとって文字とは何か」「文字と記号の違いとは」といった内容で、かなり抽象的なのです。具体的な文房具についての記述は後半に入ったくらいからです。

 この本の後ろ半分についてなら購入をおススメできるので、それで諸手を上げてではなく「片手を上げて」ということになるのです。


 その前半の抽象的な内容がなぜ必要なのか。

 この本の106頁に「道具とそれを使用した行為の結果をつなぐことを目指す考古学研究」とあるように、その文房具が何を書くために使われていたのかも考古学研究にとって重要だからです。

 ただ、古代の文房具を手っ取り早く知りたかっただけの私にはちょっと遠まわりに感じましたw


 もっとも。

 今回、鷲生は、この本を読んで「考古学」の方法論について認識を新たにしました。


 鷲生は1回目に通っていた大学で考古学科ではなく日本史学科に入ったのですが、その時の鷲生は考古学と歴史学の違いを、考古学は古墳時代とか文献の残らない過去のもので歴史学はそれ以降のものと取り扱う時期の違いだと思っていたのです(物知らずw)。


 今回、考古学のアプローチというものは、モノを手に、そのモノを人間がどう使っていたのか五感を使って考察するものなんだなあと思いました。

 そして、それは古代の道具を小説のキャラにどう使わせるか想像を膨らませるのに通じるものがあります。考古学分野の本って、予想以上に創作活動と相性が良さそうだと今回のこの本を読んで思いました。


 この本の後半は、タイトル通り、東アジアの古代の文房具について具体的な考察が述べられていて、とっても参考になります。


 137頁からは筆についての内容です。

 筆は有機物で作られるものであるために遺跡から発見される例は少ないそうですが(硯みたいに石や陶器のものはよく残るのに対して)、筆には獣毛が使われるのだそうです。


「イノシシ、ウサギ、イタチ、ヤギ、ニワトリ、ネズミ、ウマ、タヌキ、 などの毛やたてがみ、ひげなどが用いられたとされる」


「これらいろいろな動物の毛はその質、特に太さと硬さが様々であるため、異なる性質の筆を作ることができ、それは書こうとする文字の大きさや形状、書き方にも関わってくる。硬い獣毛からは硬毫筆ができ、軟らかい獣毛からは軟毫筆ができる。前者は墨含みが悪く硬いので、小さな字を一画一画、一つ一つ書くのには適するが、効率は悪く流れるような書や続け字は書けない。後者は墨含みが良く軟らかいので、草書や行書を続けて一気に書くのに適するが、使いこなすのはそれなりに難しいであろう」


 このように古代の筆の材質と使い勝手を客観的に述べた箇所で、ふと筆者様の個人的な述懐が入ります。


「(筆者様が)字が汚いのと書道が苦手なのは直接関係しないのかもしれないが、筆者は筆ペンはなるべく硬い方が書きやすいと思い込んでいるし、軟筆を渡されて目の前で書けと言われると冷や汗が出る。できればマ ジックペンかボールペンがありがたい。」


 ああ、分かります~。

 最近は減ったのかもしれませんが、芳名帳っていうんですか? 受付で毛筆で名前書く場面ありますよね。いやあ、緊張しますよね~。


 そしてこの文章の後、筆についての考古学の真面目な話に戻ります。


「硬毫筆と軟毫筆をほどよく取り混ぜたのが兼毫筆 で、現在はウサギとヤギの毛を混ぜたものが多いという」


 ほうほう。そして、その次にまた筆者様のお話が。


「動物好きの筆者はたまに動物園に行くが、近頃はふれあいコーナーで動物と触れ合いながら筆のことを思う。カピバラはあまり使いどころがない超硬毫筆になり、ワラビーからはアジアに生息していなかったことが残念(幸い?)なほど良質の軟毫筆ができるだろう」


 いやいやいやいや。動物園のふれあいコーナーで生き物を撫でながらそんなこと考えてらっしゃるのは、筆者様くらいですよ。ってか、ちょっと職業病の域なのではw


 筆についてのあとで、今度は墨が取り上げられています。


「 墨は有機物を燃やすことで生じる煤と、獣や魚の皮や骨を煮込んで抽出したコラー (ゼラチン)などのタンパク質を固めた膠を混ぜて作ったもので、現在は甘松・白檀・ 龍脳・梅花・麝香などの香料を加え、筆者も大好きな墨の独特な香りと雰囲気を醸している。古代の墨に実際にどのようなにおいがあったのか気になるところだが、もしかしたら一般的に使用する墨はくさい膠のにおいだったかもしれない。ただし、後漢末から三国時代の魏の官吏であった韋仲将(韋誕)の製墨法には、すでに麝香を混ぜた墨の製法があったことが書かれており(『墨譜法式』仲将墨)、上等の墨は膠のにおい消しを兼ねた香料があったと思われる。」


 ああ、アノ墨のいい匂いというのはわざわざ香りをつけているんですね……。


 その後、硯についての文章では、古美術界隈での硯についての評価と考古学的な評価とは全く異なることに紙幅を割いておられます。

 真面目な方らしく抑えた文章ですが、苦々しく思うこともおありのようです。


 筆墨硯紙の文房四宝。もちろん紙に関する内容もありました。


 紙の前には木簡や竹簡が使われていたことについて触れられており、そこで「簡牘」という言葉が出てきました。

 鷲生は物知らずで、初めて出くわした漢字です。「片」ヘンに「売」の旧字体で検索して調べました。


 あと、この本では、一章を割いて「実験考古学」ということに取り組んでおられました。これは現物を作ってみて体験してみるということのようです。


 獣毛の筆の前には、竹の先っぽをササラ状にしたものが使われていたかもしれないということで、実際に作って試しておられたり。


 墨の最初は炭を砕いていたのかも、と試してみて、煤とは粒子の大きさが全く違うことを実感されたり。


 こういった、筆者様の体験談もとても面白かったです!


 全体に、真面目なトーンの本なのですが、ちょくちょく顔を出す筆者様のお姿が、何とも言えず味わい深くて……。

(特に動物園のふれあいコーナーの話が、鷲生にはツボでしたw)


 最初に述べましたように、この本の前半分は抽象的な内容なので、中華ファンタジーの資料本として購入するかどうかは微妙なところですが、一読の価値はあると思います。


 あと、川村裕子先生がお褒めになっていたように、参考文献のリストも充実していますよ~。


 そうそう、ついでですが。

 Xのタイムラインに、「日本で中国の花轎(花嫁の乗り物)を見たい人ー!

 伊丹空港からモノレール1本で行ける国立民族学博物館にあったよ!」というポストがありました( https://x.com/ruxue_maricca/status/1838907113550258517 )。

 1970年代の大阪万博の跡地にあるミュージアムです。


*****

2024年10月7日追記。

昨日、奈良の「平城宮いざない館」というミュージアムで、この本にも登場する円形の硯を見ました。

写真を近況ノートに投稿しておりますので、よろしければぜひどうぞ~。

https://kakuyomu.jp/users/washusatomi/news/16818093086291978885


 *****


 ※1 『文房具の考古学  東アジアの文字文化史』2024 山本孝文 吉川弘文館 ISBN  9784642059992

 https://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b10080992.html


 ※2 川村裕子さんのXのポスト(『文房具の考古学』を紹介する内容です。

 https://x.com/kagekageko/status/1833006446948278324

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