茨姫に幸福な呪いを3



「レイ先生? なんだか今日も顔色が悪くないですか? 目の下にくまが……」


 ウィルフレッドの熱はすぐに下がり、本人は大丈夫だというのだが、シャノンには到底そうは思えない。


「治りかけだろう。無理はしないから貴方は心配するな」

「……本当に?」

「呪いについてはグレースにも意見を求めることになっているから問題ない」


 そう言って、ウィルフレッドはシャノンの髪を撫でる。そしてシャノンの頬が赤く染まるのを嬉しそうに眺める。


「ちょっと! 私の存在をお忘れでは?」


 護衛としてそばに控えていたドミニクが呆れている。シャノンはその声に驚いて飛び跳ねるように後ろに下がり、ウィルフレッドから逃れる。

 そうこうしているうちに、セルマが来客を告げに来る。相手はキース・ファーカーという王宮に努める魔術師で、それなりに身分の高い人物だ。ウィルフレッドが呪われていることや、その経緯については皆が知るところになっている。今回はその見舞いという建て前で屋敷を訪れたのだ。


「またか……」


 キース・ファーカーが訪ねて来るのは初めてだが、同じようなことは屋敷全体を覆っていた結界が解かれてから、毎日のようにある。見舞いと言われると、さすがのウィルフレッドも門前払いができないのだ。たとえ客人の目的が全く別のことであっても。

 迎え入れたキース・ファーカーには同伴者がいた。シャノンと同世代、二十歳前後の綺麗な女性で、どうやら彼の娘のようだ。亜麻色の綺麗な髪に淡い桃色のドレスをまとった清楚なイメージの女性だった。


「いやぁ、レイ殿。今回はとんでもない災難でしたな。……あぁ! そうだ、これは娘のクリスティーンと申しまして、親馬鹿かもしれませんが気立てが良く、それになかなか美しいでしょう? ほれ、クリス、ご挨拶を」

「お初にお目にかかります。クリスティーン・ファーカーですわ。わたくし、高名なレイ様にお会いできると聞いて、楽しみにしておりましたの。どうぞ、よろしくお願いいたします」


 ソファに腰を下ろすと、キース・ファーカーは挨拶もそこそこにさっそく本題に入ろうとする。彼の目的はウィルフレッドに娘を紹介することだった。


「楽しみにできる時間的余裕があるのなら、事前に訪問すると知らせてほしいものだな」


 ウィルフレッドは不快感を隠そうともしない。

 後ろに控えていたドミニクはあくまで無表情だが、心の中では笑いをおさえるのに必死で、唇の端が微かに震えている。

 事前に告げたら、どうせ断わるに決まっているのに、よくも知らせてほしいなどと言えるものだと、心の中で突っ込みを入れているのだ。

 暖炉に火が入っているのに、薄ら寒い空気が部屋に充満し、誰も言葉を発しなくなった。

 沈黙が続く室内に、シャノンとセルマがもてなしのお茶を準備する微かな音だけが響く。


「そ、そうだ! 私はレイ殿に大切な話があるから、クリスティーンは庭でも拝見させてもらうといい! ……そこの君、頼めるか?」

「は、はい。かしこまりました」


 急にそう言われ、シャノンはとっさに返事をする。


「我が家の庭を見たいだなどと、ファーカー殿は面白い方だな」

「は、ははっ! ……さぁ、クリスティーン。行ってきなさい」


 娘に聞かせたくない話をするならば、わざわざ連れてこなければいいのに。ウィルフレッドはそう思うのだが彼が娘を連れてきた理由は予想がついていたので、放っておくことにする。彼にとってもシャノンに聞かせたくない話だったからちょうどいい。


***


 冬枯れした黄色の芝、長方形の花壇に規則正しく植えられた薬草、主にセルマがお茶を飲むために使用するテーブルと椅子。案内も説明も全く必要のない真冬の庭にシャノンとクリスティーンは出てしまった。

 シャノンはクリスティーンを椅子に案内し、いれなおしたあたたかい紅茶を出す。そして寒くないようにブランケットを用意し彼女にそれを勧める。


「何もないわね……」

「はい」


 父親から追い出されるような形で庭に行かざるを得ない状況になったクリスティーンだが、予想外の質素さに、ほかの感想が出てこない。


「ねぇ、聞いていいかしら?」

「はい、私でお答えできることでしたら」

「あなたってレイ様の愛人ですの?」


 クリスティーンからの率直な質問にシャノンの心臓は飛び跳ねた。ウィルフレッドとの関係を問われるとは思っていなかったのだ。

 ウィルフレッドは命を危険に晒してもシャノンを助けようとしてくれている恩人であり、シャノン自身は彼のことが好きだ。けれどいわゆる『男女の仲』にはなっていないので愛人とは言わないだろう。

 ウィルフレッドからは使用人とあるじの関係ではないと言われたが、ではどういう関係なのかという答えまでは聞いていない。もちろん、ウィルフレッドがシャノンを特別に想ってくれていることがわからないほど、彼女は鈍感でも子供でもない。ただ、それだけで恋人面ができるほどおめでたい性格でもないのだ。

 ウィルフレッドは「ただの謹慎中の教師」と自称しているが、二人には明らかに身分の差がある。シャノンはそれをわきまえているつもりだ。

 シャノンはこのまま二人の関係に名前をつけずに暮らしていけるような気がしていた。気がしていたというよりも、そう望んでいたというのが正しいのかもしれない。


「あの……違います。レイ先生とはそういう関係ではありません」

「そうですの? ……安心しましたわ。さすがに愛人と妻が同居というのは修羅場でしょう?」


 ここ最近、ウィルフレッドにやたらと持ちかけられるようになったのは、縁談話だ。クリスティーンの目的もそうなのだろう。最初から娘を連れて乗り込んできたのは今回が初めてだが、肖像画や釣書は毎日のように届くので、シャノンもそのことは察していた。

 魔術師というのは能力を子孫に残すために血筋を異常なほど大切にする。

 ウィルフレッドは政治的な地位は持っていないが、血筋としては王家と同等で彼個人の魔術師としての能力は、国王や王太子を凌駕するほどだ。

 今までそういった話が無かったのは、屋敷の結界が他人を拒絶し、到底その環境で彼と家族になれる人間がいなかったという理由だ。

 それが今回『砂時計の呪い』にからみ、ウィルフレッドが屋敷の結界を解く決意をしたために、彼の血を一族に取り込もうと考える者が連日押しかけるようになったのだ。


「ねぇ、教えてくださらない? あの方のご趣味とか、どんな女性が好きかとか、何でもいいの」


 微笑むクリスティーンはとても美しい女性だ。肌は白く、淡い色の髪は艶やか、そして何よりも紅茶のカップを持つ手が美しい。日頃から太陽の光を浴びて焼けた肌、そして何よりも仕事をしてガサガサの指先のシャノンとは雲泥の差がある。シャノンは急にその荒れた手を隠したくなった。

 クリスティーンは魔術師で、ウィルフレッドと並ぶほどではないとしても、彼の助けになれる存在だ。それに比べてシャノンは無学で何一つ彼の役には立たない。屋敷で仕事をしているが、同じことを魔術師がしようとすれば手を動かさずにやってしまうのだろう。ウィルフレッドが魔術を使う様子を見て、そのことを知っているシャノンは魔術師がいかに自分と違う特別な存在なのかをよく理解している。


「私の知っていることと言えば、先生はとてもきれい好きで…………」


 シャノンは言葉に詰まる。考えてみたら、彼の趣味も女性の好みも何も知らない。シャノンの心は急に霧がかかるように不安を訴え、痛み出す。

 きっとファーカー父娘おやこから縁談の申し込みがあっても、ウィルフレッドは断るだろう。今のところウィルフレッドにはどこかの令嬢を妻に迎え入れるつもりはないようだった。

 それでも思ってしまうのだ。ウィルフレッドにふさわしい女性たちの存在を、シャノンはクリスティーンを通して知ってしまった。ウィルフレッドがそれに気づいてしまわないだろうかと。そう考えてしまうのだ。

 呪われていたときは、シャノンは彼にとって特別な存在だったかもしれない。でも今は違う。

 彼女が考えている間に、ウィルフレッドたちの話は終わったようで、ファーカー父娘おやこは早々に帰っていった。

 飲んでいたカップを片づけようとしていたシャノンのところへウィルフレッドがやって来る。


「すまない、寒かっただろう。……こちらとしても貴女に聞かせたいような話ではなかったからな」


 ウィルフレッドはシャノンの手を取り、その指先をあたためようとする。冷えて固くなったガサガサの指先に触れられた瞬間、シャノンは反射的に手を引いて彼から逃れる。


「怒っているのか?」

「あの……違うんです。レイ先生、私に……キス、してくれますか……?」


 屋敷の中にはドミニクとセルマがいるが、屋敷の窓からこの場所は見えない。

 ウィルフレッドは突然のシャノンの懇願こんがんに驚くが、彼女の腰にゆっくりと手を回して強く抱きしめる。彼の唇が落とされたのは、シャノンの額だった。

 それは、彼女が望んだ場所ではない。


「……あの、そうではなくて、唇に。私が……、私が持っていてはいけないんですか?」

「その話は、あと一ヶ月はしないと約束したはずだ!」


 語尾を強めるウィルフレッドに、シャノンは怯える。


「すまない。怖がらせるつもりはなかった。貴女が心配することなど何もない。ただ、私を信用して欲しい」


 シャノンが再び呪われたい理由はあまりにも勝手すぎてウィルフレッドには到底言えない。

 もう一度呪われて、シャノンの感覚が再び麻痺し、ウィルフレッドに本来の力が戻ればまた特別な存在になれる――――そんなことを考えている浅ましさ。彼が屋敷の結界を縮小しようと努力していることに対する冒涜ぼうとく。そんな感情を彼に知られてしまうことが恐ろしくて、シャノンは目を伏せる。

 ウィルフレッドは彼女を安心させようと、今度は伏せられたまぶたに唇を落とす。

 涙が出そうなほど嬉しいのに、未来のことを考えるのがとても怖い。もっと強く抱きしめてもらえたのなら不安は消えるのだろうか。シャノンはそう思ってウィルフレッドの背中に手を回す。


「レイ先生……?」


 急にウィルフレッドの重みを感じてシャノンは彼の名を呼ぶ。

 次の瞬間、ウィルフレッドの体から力が抜けるように崩れ落ちた。


「先生? 先生!? どうしたんですか!?」


 支えきれずに枯れた芝の上に横たわるウィルフレッドの顔色は真っ青だった。


「ドミニクさん! セルマさん! 先生がっ! 先生が……」


 突然倒れたウィルフレッドを前にシャノンはただ助けを求めて叫ぶことしかできなかった。


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