魔術師は呪われたい2

「私がサイアーズに行ったのは、あの人たちが必要なお金を用意せずに、最初から私を殺すつもりの殺人者なんだと確認したかったからです。いちおう、父や祖母は血が繋がっていますので……もしかしたら私を助ける気が少しはあるんじゃないかと期待してしまって。そうじゃないんだとはっきりさせたかった……それだけなんです」


 シャノンはそもそも最初から死ぬつもりだったのだ。仮に呪いを解くことができても、村には戻れないし知り合いもいない者など、どこに行っても真っ当な職に就けるわけがない。余所者として村で酷い扱いを受けてきた母のように強くはなれない。それはシャノンに守りたい者や大切な者がいないせいだと彼女は考えていた。大切な者がいない人間は自分の命の価値も酷く安いのだ。


「確認したいのですが、あなたはなぜ父親や村の人間の罪を隠していたのですか?」


 シャノンが気にしていたのは弟たちのことだ。上の二人は働ける年だが、下の二人はまだ幼い。もし保護者が罪人となった場合、あの閉鎖的な村で生きていけるかわからない。それは成人しないうちに母を失ったシャノンが身をもって知っていることだった。

 弟たちとは最低限の関わりしかなく、下の二人はシャノンが何者なのか正しく理解しているかどうかも怪しい。それでも血の繋がった弟だから助けたい、などと言うつもりはない。

 けれども、シャノンは考えた。父や継母が捕まったら少しは満足して穏やかな気持ちで死ねるのか、と問われるとそうでもない。関わった村人の誰かが裏切り、ことが露見ろけんしないかと怯えながら一生暮らすのと、あっさり捕まるのと、どちらも大差がないと思うのだ。村の人間がその後どうなろうとシャノンがそれによって満たされることはない。

 だが、弟たちのことは違う。親のいない子供はあの村では確実に不幸になる。そうとわかっていて父親たちを罪に問うと、シャノン自身、弟たちがどうなったかを気にしながら死ぬことになる。シャノンがためらったのはそんな理由だった。


「なるほど。申しわけないですが、こちらとしてはシャノンさんを保護した時点で調査を開始し、事件を闇にほうむることはできません。おそらくこの件はチェルトンを管轄する警備隊が動くことになります。……私にできることはまともな孤児院を紹介するくらいですね」


 シャノンにとっては、その提案だけでもありがたいことだった。続いてドミニクはシャノンが王都に行きたがった理由を問う。


「一つだけ、母が出さなかった手紙を祖父母に渡したいって思っていて……でも、今ならなぜ母が手紙を出さなかったか、わかる気がします」

「まぁ、そうだろうと予想はしていましたけどね。すみません、実は以前こっそりあなたの荷物をあらためさせてもらいまして、手紙のことは知っています。いちおう、あの方の名誉のために言っておきますが、レイ様はとんでもなく嫌がっていましたよ?」

「そうですか……。別にかまいません」


 純粋な善意で助けようとしてくれたウィルフレッドにすら全てを話していなかったのに、相手にだけ誠実さを求めるのは間違っている。だからシャノンはそのことはどうでもいいと思った。ウィルフレッドが嫌がっていたという部分にだけ、彼女の心に届く。彼ならそうだろうと妙に納得してしまい、少し笑ってしまった。

 シャノンの母方の祖父母は目抜き通りのパン屋の夫婦だ。

 見ず知らずのシャノンに傘を貸してくれた優しい祖母。

 もう会うことができないとしたら、駆け落ちした娘はどこかで元気に暮らしているのだと思って生きるのと、残酷な事実をただ突きつけるのと、どちらが祖父母にとって幸せなのか。母は手紙を出し忘れたわけではなく、出さなかったのだ。

 シャノンもそうだった。あの優しい母を育てた祖父母がいったいどんな人たちなのか会ってみたかった。けれど母の死を告げて、孫であるシャノンももうすぐ死ぬのだと伝えることはただ残酷なだけだと気がついた。


「本当に、私は馬鹿です! ただ、祖父母に会いたいって気持ちだけであの方のことを利用して、生きるつもりもない私のことを……あの方は懸命に助けようとしてくれて! ……今さら離れてもあの方を傷つけたことには変わりないんです」


 シャノンの望みは静かに死ぬことだった。決して無関係なウィルフレッドを巻き込んで彼の心に消えない傷を残して消えてしまうことを望んでいたわけではない。

 でも、あの場所はとても居心地がよくて、つい彼に甘えてしまった。だから、シャノンの胸がこんなに苦しいのはきっと罰なのだ。


「あの方の言うとおりにすれば二人とも助かって幸せになれると思わないんですか?」

「絶対に解呪できるわけじゃないのなら、あの方が呪われる必要なんてないでしょう?」

「職務上、あの方のそばを離れてくれたあなたには礼を言わなければならないのだけど、個人的には嫌いです……人の気持ちを勝手に決めて、優しいふりをして随分と傲慢だと思いませんか?」


「そんなこと……」


「あなたは大切な人を守っているつもりでいるみたいですが、あなたのお祖父さんやお祖母さんから娘を弔う権利を奪っているし、レイ様からあなたを助ける機会を奪っているじゃないですか。そんな無力な身で随分傲慢ですよ?」


 ドミニクの厳しい言葉をシャノンは言い返すこともできずに聞いていた。


「まぁ、いいでしょう。あなたの預け先は明日にでも決まるはずですから、とりあえず今日はこの屋敷に泊まりなさい。あの方は権力から徹底的に自身を遠ざけてきましたから、カーライル家にいる限り手出しできません」

「お願いします」


 シャノンはカーライル邸の一室で、部屋全体に気配を外に漏らさないようにする魔術や、内からも外からも移動や侵入を許さない結界を張られて眠ることになった。

 以前、他人の魔力に包まれる感覚は不快でしかないとウィルフレッドが話していたことを彼女は思い出す。

 先ほどは厳しい態度だったが、ドミニクはシャノンのことを特段嫌っているわけではないし、彼女も彼のことが嫌いではない。でも、彼の魔術に包まれている感覚にはほんの少しだけ違和感があり、どうしても心が落ち着かない。ウィルフレッドの魔術に慣れているせいなのかちょっとした差異が気になるのだ。

 一番内側にある魔術の気配だけに意識を集中させ、無意識にウィルフレッドからっもらった首輪に触れる。

 シャノンにかけられているウィルフレッドの魔術は一日しかもたない。明日になれば彼の気配を感じられるものは全て失われるのだと思うと、シャノンの瞳から涙があふれだし、それを止めることができない。

 ウィルフレッドを傷つけてしまったことへの罪悪感だけではない。取返しのつかないことをしてもまだどこかで、彼に会いたいという気持ちを消せないでいる勝手な自分が嫌だったのだ。


***


 シャノンの気配が王都の中心部のほうに向かったことをウィルフレッドは『魔』の世界で感じていた。ウィルフレッドが無意識に探査できる範囲はせいぜい王立学園の周辺くらいで、彼には教師という仕事がある。彼女は今朝言っていたとおりに中心街へ行ったのだと思い、それ以上気配を追うことはしなかった。

 日が傾きはじめても彼女の気配が戻らない。真面目なシャノンが夕食の準備を怠ることなどありえない話だ。嫌な予感がして、ウィルフレッドは探査範囲を広げる。彼女がまとっているウィルフレッド自身の魔力を手繰り寄せるように拾うと、彼女がまだ王都の中心部にいることがわかる。


 ウィルフレッドが目をつむって視ているのは現実の世界の陰に潜む『魔』の世界だ。白と黒の色を失った風景に魔力だけが輝いて視えるのだ。王都で魔力を持っている人間は数えきれないし、今この瞬間に使われている魔術も無数にある。それらの全てが視覚的な刺激としてウィルフレッドに伝わる。あまりのコントラストに意識が飛びそうになるのを耐え、シャノンの居場所をより深く探る。シャノンの居る場所と王都の地図を頭の中で符合させてから彼はゆっくりと目を開ける。


「カーライル邸? ドミニクか……」


 シャノンがその場所にいることに嫌な予感を覚え、目を開くと薄れてしまう彼女との繋がりをなんとか保ちながら、ウィルフレッドはカーライル邸に向かうため、急いで学園をあとにする。

 馬車ではなく馬に跨りカーライル邸に向かう途中、糸がぷつりと途切れるようにシャノンとの魔力的な繋がりが消え去る。彼女がまとうウィルフレッドの魔力を追えなくなったのだ。

 その瞬間、目の前が見えなくなるほどの怒りを彼は感じた。シャノンの居場所がわからないのは魔術的な細工のしてある部屋にでも入れられたか、もしくは殺されたかのどちらかということになる。ドミニクは無駄なことはしない人間だが、必要であればためらわない男だ。ウィルフレッドがシャノンに必要以上に関わることを危険と判断して彼女を害することもありうる。


(もし、そうだったら…………)


 ウィルフレッドの中でふつふつと暗い炎が燃え上がり、理性や自制心を全て焼き尽くそうとしている。それが本能ならば、今はそれに従ってあとがどうなろうとかまわない。彼は本気でそう考えた。そして、馬に鞭を入れて彼女の気配が消えた場所へと急ぐ。


***


 カーライル邸を守るのは一族の若者――――その誰もが屈強な武人だ。ドミニクは本筋に近い分家の人間で、一族の中でも優秀な人材として期待されている。本家の跡取りの教育係もしていて本来の家は別にあるはずだが、ほぼ本邸で暮らしている。

 ウィルフレッドがカーライル邸に乗り込むようなかたちで現れると、仕事熱心な数人の武人が彼を取り囲む。


「ドミニク・カーライルはどこだ? ウィルフレッド・レイが来たとすぐに伝えろ!」

「ウィルフレッド・レイ……様……?」


 屋敷の警護をしているカーライル家の青年は、ウィルフレッドの鬼気迫る形相と、そのあまりにも有名な名前に驚き、その場で呆然となる。


「死にたくなければ今すぐ呼んで来い!」


 それでも動けずにいる青年を尻目に、正面から乗り込む勢いで馬を下り、彼は歩き出した。

 ウィルフレッドは彼の屋敷の十倍はあるかと思われるような長いアプローチを、殺気をむき出しにして進む。彼を阻めるような実力者はいないが、屋敷の人間は勇猛果敢な武人で自分の職務に忠実だった。

 四人の勇気ある若者がウィルフレッドの進路を塞ぐように剣を構えて立ちはだかる。


「レイ様! 他家の屋敷を突然襲撃するなど、どういう――っ、ぐぁぁぁ!」


 一瞬の閃きのあと、言葉を発した若者がみえない壁に押し潰されるように地面にひれ伏す。

 本来、魔術は威力の高いものほど『陣』が大きくなる。純粋な魔力で『陣』を描くことによって発動する魔術は、当然威力の高いものほど発動に時間が必要となる。

 接近戦であれば、魔術の発動前に使い手を潰せばいいのだから、剣を扱う人間のほうが有利だ。

 ましてや、ウィルフレッド一人に対し屋敷の守り手は何人もいるのだ。


「話のわからぬ人間は好かない。全員寝ていればいい……」


 冷酷な彼が言い終わるより先に、その場に立っている者は誰もいなくなった。


「レイ様! 人の屋敷で何をしているのですか?」


 ウィルフレッドの探していた人物はすぐにその姿を現す。彼の顔を見た瞬間、手加減などできそうにないほどの怒りが込み上げる。ウィルフレッドは怒りで生み出される魔術を周辺に放つ。石畳のアプローチや周辺の地面がめくれあがるように壊れていく。


「シャノンを返せ。今すぐに」

「返すもなにも、彼女自身がここへ来たんですよ? 私は彼女の依頼で保護したまでです」


 ドミニクの答えを聞くのと同時に、彼の足元に雷撃が落ちる。


「ちょ、ちょっと! 人の家を壊さないでください! そもそもここ、私の屋敷じゃないんですが! まったく、彼女があなたの思いどおりにならないからって酷い八つ当たりですよ!」

「すぐに会わせろ。次は外さない」

「……いいですよ。面倒くさい性格同士で納得するまで話し合ったらどうですか?」


 すでに屋敷の門から玄関までの間は、彼の魔術で荒らされ燦々さんさんたる状態だ。そして十数人の任務に忠実な若者があちらこちらに倒れている。

 ドミニクに与えられた選択肢は、屋敷を全て破壊されたあとにシャノンのところに案内するか、破壊される前に連れていくかの二択だった。

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